楽々人生へのマッピング

マッピング例?
マッピングには色々な方法があるが、
私は右を概念、左を具体例に分けるのが好きだ。
自分を「新卒のサラリーマン」と仮定して、一例を作ってみる。
先ず、右領域に書くことをランダムに書き出す。
30で結婚
27、32、37で賃貸物件を購入
中国にも賃貸物件を購入
40で独立
50で悠々自適生活を可能にする
左領域には具定例
先輩や先生の紹介で銀行にパイプを作る(先輩、先生の名前を書く)
不動産賃貸セミナーに顔を出す(セミナー名を書く)
手取り22万の給料の半分は必ず貯金する(貯金の種類を具体的に書く)
貯金は5年後の600万を頭金にして最初の物件を購入(どこに買うかを書く)
中国情報をファイルにして中国に強くなる(中国は北京と上海に絞る)
※日本は原則的には、東京と横浜の一部しか生き残らない。
こんな感じで第一号を作ったら
壁に貼って、1年かけて、内容を充実させていく。
成功者の多くがこうして意識を高め、目的を達成している。
U君、M君、I君、S君、頑張って充実した毎日を送って欲しい。
君たちの成功を目にするまでは生きられないだろうけど・・・

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楽々人生へのマッピング

人判別法
人生の終盤、これだけは伝えておきたいということが幾つかある。
「人の見抜き方」もその中で欠かすことのできない大切な一つ。
今、私がこうして楽しく生きていられるのもいい人たちに恵まれているから。
しかし、一口に「いい人に恵まれる」というがこれが非常に難しい。
いい人と思っていた人が敵に豹変し、自分を襲うなんてことは日常茶飯事。
それがどんな人か、そしてそれをどう見抜くかが分かれば百戦これ危うからず。
その事件は、ちょうど学習塾を売る直前に起きた。
彼は小さな貸しビルを持つ不動産屋で私より少し若かった。
自分では気が合うと錯覚して、よくお茶をしながら不動産の話をした。
彼の口癖は人の悪口、巧みな言葉で人を酷評した。
「ちょっと言い過ぎだな」とは感じたが、面白いので笑って聞いていた。
ところが、その後、共通の別の友人が言う、彼が怖い話をしていると。
「高木さんの悪口、それも聞くに堪えない悪口を言っている」というのだ。
「そう言えば、彼はそんな人間の顔をしている」とはっと気がついたが遅かった。
間もなく、手のひらを返したような仕打ちをしてきたのには本当に驚いた。
人判別法の鉄則、「他人の悪口を言う人はいつか必ずあなたの悪口も言う」
そんな人は相手によって呼び方を変える、呼び捨て、くん付け、さん付けと。
こうして悪口を言い、呼称を相手によって変える人は絶対に信用してはならない。
やたらと自分を丁重に扱った人、この人は桁違いに恐ろしい人だった。
警察と連携してやっと手を切ったが、心臓が随分と痛めつけられた。
不動産の世界には恐ろしいほど多くの魑魅魍魎が跋扈している。
この世界で生きるには、警察に太いパイプを作っておくべきだ。
やたらと人前で威張る人、こんな人にろくな人はいなかった。
軽い会釈の出来ない人、こんな人は度量の小さいつまらない人だった。
30代から40代、人を正しく判別できなかったので、随分と苦労した。
自分に向かない人との縁を切ることの大切さを知ったのは50過ぎてからだった。
正しく人を選別していくと、程よい数の人垣が出来る。
それには、勇気をもって縁を切らなければならないときもある。
こうして選び抜いた人垣に囲まれていれば、老後の人生は安泰だ。

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楽々人生マッピング

ボランティアのもう一つの側面
ボランティアと言えば、聞こえはいい。
確かに、結果としてみたら社会貢献はいいことだ。
ただ、問題なのはその入り口の部分。
難しいことに挑戦する意気地が失せて、
仕方なくボランティアを選択している人もいるということ。
始めに、「そんな寂しい潜在意識がないか」を自らチェックすべきだ。
「金儲けよりボランティアの方が美しから」といのでは余りに寂しい。
「もう金、金、金の世界は嫌だ」なんていかにも格好がいいが、
本当はお金を生み出すエネルギーがなくなってしまったのではないか?
もしそうなら、人知れずひっそりとボランティアに汗を流そう。
絶対に「ボランティアをしている」なんて大きな顔をしない方がいい。
「小学生を集めて少年野球のコーチをしている」なんて自慢げに言う人がいた。
定年退職後のこんな時間の過ごし方はいかにも魅力的だ。
でも、そんな人が少年たちの母親にちょっかいを出したりしている話も聞く。
ボランティアという美しい言葉の裏でいろいろと悪事を画策している人もいる。
災害地に赴いて、被災者に手を貸す若者たちには頭が下がる。
しかし、本業で稼いで税金を多く納める人も同等かそれ以上に美しい筈だ。
彼らの納める税金で自衛隊員が被災地で活躍していることを忘れている人が多すぎる。
こうして経済的に国を支えている人が次々とこの日本から消えたらどうなるか。
国民がボランティアばかりに勤しみ、税金を納める人がいなくなったらどうなるか。
高額納税者を苛める野党の政治家の姿勢がいつか日本を根底からダメにする。
ボランティアはしないが高額な税金を納める経済人なくして国は成り立たない。
そんな大事な人の足を引っ張るような変な風潮を作るのだけは止めよう。
マスコミもそんな視点での報道を見直し、バランスの取れた報道をしたらいい。
「弱者に優しい日本」の行く末には世界の舞台で経済的に取り残された
貧しく暗い日本の未来が待っているような気がしてならない。
既に日本の経済指標ランキングの凋落がそれをはっきりと暗示している。
不景気のかなりの部分がこんな日本の風潮が原因になっているように思えて・・・
ボランティア礼賛番組を見ていて、そんな杞憂?が頭を過ぎった。
自分が高額所得者なのに、「金持ちは日本を出て行け」なんて
受けのいい言葉で著書の売上げを伸ばす森永卓郎的人間には呆れてしまう。
ニタニタしながら弱者を食い物にする屑人間に騙されてはいけない。

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楽々人生へのマッピング

本旨
「人は金だけで評価されるものではないだろうに」
私のブログのファンで久しぶりに会った友人が開口一番に言う。
「教養とか社会的地位などを軽視しすぎていないか」と続ける。
彼には「本読みの役立たず」の内容がどうしても納得できないらしい。
もちろん彼は無類の読書好き、おまけに上場企業の役員を経て今は相談役。
「前向きに本が好きな人のことを役立たずとは思っていない」と弁解したが、
先入観を持ってしまっているから、なかなか分かってくれそうにない。
一流企業での成功には教養,知識,家柄などが大きく関係してくるという。
「経済力も重要だが、俺は高木より社会的にも高く評価されている」と。
そんな張り合うつもりは毛頭ないのに・・・・・
私のブログのメインテーマは「ビジネス」
その視点に絞って、「本読みには仕事ができない人が多い」と書いたつもりだが、
案の定、「人物評価」とか「価値観」という捉え方で読まれてしまった。
仕事、特に中小企業での仕事に成功する術を書くことに挑戦しているのだが、
どうしてもお互いに共感し合えない部分が生じてしまうのは仕方のないことか。
それにしても、こうして反論してくれる友人のいること自体に感謝感激。
色々な分野に友人、知人のいることを心底幸せだと感じた出来事だった。
こうした友人がいれば私の進歩が止まることはないだろう。
もちろん、彼とはその後も一緒に食事をしたりする仲である。

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楽々人生へのマッピング

実像と虚像
実像と虚像、多くの人がこの二つの間で悩んでいる、もちろん、私も。
ブログを書くとき、昔の生徒と会ったとき、どれが本当の自分なのかと迷う。
実像として語っている自分は本当に実在しているのか自問自答する。
これだけ働く人はいないだろうと思った時代の実像をブログに書いた。
文字通り「とことん」働いて、玄関で意識を失って倒れたことは事実だ。
しかし、怖い仕事から逃避して、夜の街に逃げて行ったのもこの私だった。
生徒には出来るだけ実像で接しようとしてきたが、
やっぱりまだ話しても理解できないだろうと虚像の顔を見せたときもある。
別に格好をつけるつもりなど毛頭なかったが・・・
ある日、元生徒の一人がポツリと洩らした。
「あの時高木先生に助けてもらわなかったら人を一人殺していた」と。
大人しくて心の優しい生徒にもそんな苦しい一瞬があったのか。
「私も役に立っていたんだな」と感慨深く彼の話を聞いているのも本当の私。
植草元教授がとうとう収監された。
彼ほど実像と虚像がかけ離れた人間ではないが、
そんな報道をされかねない誤解は何度か経験した。
40代までは、運転していてすれ違った車によく怒鳴った。
「前を見て運転しろ」なんて怒鳴った相手が向かってきたことがある。
路上で大喧嘩をして、危うい場面を経験した、新聞に出なくてよかった。
Pマンションでは陰で「激しい性格の人」と言われているらしい。
温厚で優しい人になりたいのに、そんな顔を見せる自分が怖い。
人は一歩間違えると数%の陰の実像の部分で一生を台無しにする。
酒井法子の実像はどうだったのか、いつからあんな人になったのか。
本当の自分が虚像だなんて言われないように努力しなければ・・・

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楽々人生へのマッピング

挑戦者への報酬 
 
失敗しても、失敗しても挑戦を止めないのは
たまにある成功から得られるものが失敗で失うものより大きいから。
更に、挑戦者は失敗からお金では得られない大きなものも得ている。
お金だけが損得や成功失敗の基準ではない。
一番大きな戦利品は、「自分がバカに思える」ということ。
そんなことを言わなくても、十分バカなのかも知れないが・・・
挑戦する度に、「何て能力がないんだ」と思うことが多かった。
「挑戦」とは己の力のなさを嫌というほど思い知らせてくれる。
だから、挑戦者は己の能力を磨くために努力し続ける。
努力へのモチベーションは挑戦から得る最大の戦利品だ。
今も中学生、高校生に英語と数学を教えている。
当然、自分も勉強をしないと恥をかく、だから生徒以上に勉強する。
挑戦とは、恥をかく環境に自分を置くことだとも思う。
もちろんそんな仕事をしなくてもご飯は食べられるのに・・・
最近は偶然にも新しい指導法を開発して、これを使ってまた大儲けしようと
新しい企画を考えている、この充実感も挑戦者だけが手にするものだ。
不動産でも、いつも新しい視点での物件化に挑戦している。
次に空室になったらそこで何をするか、興奮して考えている。
こうした興奮も挑戦者だけが味わう特権だ。
また、世界のホームラン王のワンちゃんは世界一謙虚な人だったともいう。
己のバッティングに最後まで納得しないで、研究をし続けたので、
「まだダメだ」と努力して、天狗になることを忘れてしまったに違いない。
あの清原の雰囲気とワンちゃんの雰囲気の違いを見れば全てが分かる。
真の挑戦者は謙虚というパーソナリティも手に入れることができる。

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楽々人生への道

とことん
夜9時、授業が終わる。
2〜3人の生徒の質問に答えて、九時半には食卓に。
でも、教室は深夜の1時まで開放している。
自宅で勉強するより教室で勉強したいという
かわいい生徒たちが9時半頃から集まって来る。
人数は少ないが彼らの指導のために10時にはまた教室へ。
明けて1時に教室を閉め、今度は事務所へ入る。
教室長たちとの打ち合わせ資料とか教材などの作成、
その他もろもろの仕事が終わるのがだいたい深夜の3時。
軽い夜食を胃にぶち込んで4時頃に床に就く。
もちろん朝は9時には事務所にいた。
これが30代の私の毎日だった。
だから、厄年の頃、体はぼろぼろになった。
胃潰瘍、腎臓結石、慢性の扁桃腺炎、軽度の肺気腫、等々。
しかし、体はぼろぼろになったが事業もそれなりに拡大。
その後は大して働きもしないのにそれなりの報酬を得、
なんとか人に迷惑をかけないで、楽しい老後を過ごしている。
「老い支度」を意識して仕事をしていた訳ではない。
「老い支度」を意識してお金を求めていた訳ではない。
純粋に、全力で時間を気にせず、仕事を楽しんだ。
短いサラリーマン時代も同じように時間を気にせず仕事をした。
それが結果的に年金の心配もしないで済む老後につながった。
サラリーマンだろうが自営だろうが、仕事が好きであって欲しい。
そして、塾の先生なら、とことん生徒のことを考える。
営業ならとことんお客側に立って考える。
賃貸業ならとことん住む人のことを考える。
「とことん」は繁栄の基本だ。

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楽々人生への道筋

5年後、10年後の自分の姿をイメージする
老い支度の意識のある人に最初に考えて欲しいのは「不動産購入」
特に、若いうちに事業用不動産を購入することには大きな意義がある。
最初の事業用不動産の購入は出来れば30代が理想的だ。
35歳で1億円の不動産を全額銀行借入で購入する絵図を例に挙げよう。
例によって、分かりやすいように全ての数字を大まかにした。
A:銀行借入1億円の元利共の月返済額は約50万円=年600万円(20年、2.2%)
B:当該事業売上げ月額80万円=年額960万円とする。
C:所得税60万円の算出⇒上のように正しく計算しても、下のように
 幽霊所得(=元本返済)に対して計算してもほぼ同額となる。
  ※年間収入960万−年間利息約200万(17万×12)−管理費100万−固定
    資産税60万−減価償却200万=課税所得400万円(×0.15で60万円)
  ※月元本返済額33万×12ヶ月×0.15=返済額(×0.15で所得税約60万円)
D:年間キャッシュフロー=140万円(月額約12万)
  ※課税所得400万−所得税60万−返済元金約400万
                +減価償却200万=140万円
実際には消費税40万円も引くので、キャッシュフローは100万(月額約8万)
こうして35歳に全額借入で事業用不動産を購入したとしても月8万の小遣いになる。
首尾よく5年後の40歳でもう一つ同規模の事業用不動産を購入したとする。
そして、45歳で最初の不動産を1億1千万円で売却しよう。
最初の借入残はゼロになり、40歳の借入残の内5千万も返却できる。
とすると、40歳で購入した方の不動産の返済は月額20万(年額約240万)。
さあ、この段階で賃貸収入によるばら色の生活をチェックしてみよう。
A:銀行借入の元利共の月返済額は20万円=年240万円(残り15年、2.2%)
B:当該事業売上げ月額80万円=年額960万円
C:課税所得税は幽霊所得である元本返済に対して計算しても同額なので
  ※月元本返済額15万×12ヶ月×0.15=所得税約27万円
D:簡易計算による高木式年間キャッシュフロー=530万円(月額約44万)
  ※事業売上げ960万−所得税30万−元本年返済額約240万−
      運営管理費120万−消費税40万円=530万円(月額44万)
何と45歳にして、働かずして毎月44万円の収入を手にすることになる。
それも一銭も持っていなかった35歳の若者が始めた事業で。
この絵図は全てがうまくいったとあるチャレンジャーの実例だ。
5年毎にこの作業を続けて還暦を迎えたらどんなことになるか・・・
折角不動産戦略のこのブログの読者なのだから、
5年先、10年先の自分の生活にはこんな夢を添える勇気を持とう。
もちろん、既にこのブログの読者の何人かは始めていることだが・・・
※この計算が大雑把過ぎるという会計士の先生方は絶対に成功者にはなれ
ない。小事にこだわり細かいミス探しに時間を使い過ぎると大事を見失う。
※最近も年間850万を売り上げる事業用地の取引に立ち会った。
頭金を数千万用意している方で、実質利回り7.5%を見逃さなかった。
  銀行に預けておくのはいかにももったいないと言っての決断。

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楽々人生マッピング

本読みの役立たず
「どうして読書三昧がいけないのか」とよく訊かれる。
私が社員として雇った人や自分の目で確かめてきた人たちの中で、
よく本を読んでいた人の多くは仕事の出来ない人だったのだ。
学生時代、本好きの物知り博士たちは還暦を過ぎた今、相変わらずの評論家だ。
お勉強はできるが社会に出るのが怖くて大学院に進む学生が多いと聞く。
彼らは本が好きなのではなく本に逃げ込んでいるだけなのだ。
学生だけでなく、そんな大人も結構多い。
本好きは、2千年近く前の三国志のような歴史書もよく読んでいる。
しかし、凡人がこの時代の本の内容を実践に応用するにはかなりの才能が要る。
あの論語もしかりである、ファッションとしては役立つが・・・
実社会は今動いている。
我々は評論家とは違い、今日の戦いに勝利しなくてはならない。
三国志もいい、論語もいい、しかし古すぎて応用が難しい。
過去から多くを学ばなくてはいけないが、大切なのは今だ。
実社会には怖いお兄さんたちもいて、その対応は教科書には書いてない。
外国に支店一つ出すにも、外国語が喋れればいいというものではない。
外国では、賄賂やハニートラップなどの誘惑も多く、
腹が据わっていないと解決できないことが実に多い。
本の虫たちには教養や豊富な知識があったのかもしれないが、
仕事では、能書きや屁理屈が多く実践対応が下手で、
業績で立派な結果を出せる人は少なかった。
それはまるでテレビに出てくる評論家そっくりだ。
実際に結果を出す必要のない彼らの傲慢な顔を見ると
朝から気分が悪くなるので、朝はテレビを見ないようにしている。
就業人口の80%の人々は中小零細企業の世界で生きている。
ところが本屋で平積みになっているビジネス書の多くは
大会社の成功秘話やそこの社長の成功体験を扱っている。
「世界のトヨタの成功秘話」
こんな大会社の成功ハウツー本を読んで中小企業に役立つのだろうか。
かなりの応用力がないと役立つようには思えない。
セブンイレブンの成功秘話を鈴木敏文さんの著書から学んでも、
所詮成功した時代も違うし、器が違いすぎる。
もちろん、全く役に立たないとは思わないが・・・
例えば、世界の景気や日本の景気についての本を読む前に
自分の住む市や町の特徴を調べた方がいい、生き残るためには。
今後10年間、自分が仕事をしていく街の人口は増えていくのか。
もし人口減少の所で仕事をしているのなら、それなりの手を打たねばならない。
三国志なんて引っ張り出して読んでも答えは書いてない。
大成功者からも多くを学ばなければいけないが世界が違いすぎる。
我々は凡人だ、あまりに大きすぎる成功談からの応用は難しい。
より近くで活躍する身近な成功者の言うことの方が即効性がある。
もし、実戦を楽しみ、今の世界で成功したいのなら、
もうそんなかけ離れた世界を扱った本を選ぶのは止めた方がいい。
自分に相応しい本を読むなら、そんなに沢山の本は読まなくて済む。
読書に使う時間と実社会で学ぶ時間のバランスが大切だと思う。
実戦が大変なので、無意識に読書に逃げている人が実に多いのだ。
もしご隠居さんでないなら、もっと実際に役立つ本を読み、現場に出よう。

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楽々人生マッピング

運はゆとりのある人に訪れる
成功者はよく言う、「運のいい人が集まっている場所へ行け」と。
例えば、高級ホテルや高級ゴルフ場、高級すし屋などだろうか。
六本木ヒルズ近くの纏鮨では左に楽天の社長、右に有名な歌舞伎俳優。
そして話しかけてきたのは大阪では知る人ぞ知る大金持ち。
旨いものの話が発端で丹波の漬物を贈って頂いた。
それはそれは旨くて、それからは他の漬物が食べられなくなるほど。
これがもし仕事の話だったら、きっと桁違いに儲かる話になったのではと。
その日は仕事の話は頂けなかったが・・・・
私の今の収入もほとんどが運のいい人から貰った仕事から。
一緒に飯を食っているときやゴルフをしているときの話がきっかけ。
運を開きたければ、やはり時間的ゆとり、人間的ゆとりを作るべきだ。
経済的ゆとりはなくてもいい、可愛がって貰えばいいのだから金は要らない。
できた時間的ゆとりで風俗に行ってはいけない。
神様はそんな人に運を下さることはない。
ちょっと羽振りのいい先輩に一流のすし屋にでも連れて行って貰うのがいい。
それがダメなら一流ホテルのプールはどうか、これなら自分の小遣いで行ける
兎にも角にも運の開けない人の集まる所だけには行かないように。
運の悪い人は悪口や愚痴や自慢話や不景気の話しかしない。
そんな所に儲かる話や楽しい話もないし、一流の女もいない。
ゆとりを作って、ちょっと背伸びをして一流のところに行こう。
努力すれば運が開けると思ったら大間違いだ。
成功者は言う、人生は90%が運で、努力はたったの10%だと。
忙しい、忙しいと言い過ぎていては「運」は訪れない。

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楽々人生実現法

惚れた欲目
「なんでこれほどまでに惚れ込んでしまったのか」
後から考えると信じなれないほど先が見えなくなっていた。
あの事業、この事業での失敗の原因は「惚れた欲目」
弁当屋を始めるきっかけになったのは試食会でのハンバーグ。
「こんな旨いハンバーグなら絶対に売れる」と惚れ込んでしまった。
しかし、今ではもう絶対に食べたいとは思わない味のハンバーグ。
10回くらいは試食すべきだったのに、一回で答えを出してしまった。
いつまでもワクワクさせる女性が稀にしかいないのと同じで、
何度食べても美味しい食べ物はそうそうあるものではない。
健康サロンを始めるきっかけになったのは集客用の心臓チェックシステム。
「こんなデータを打ち出せるなら、医者より凄いじゃないか」
医療機器のパビリオンの長蛇の列も錯覚を起こす大きな要因だった。
帰ってきてすぐに200万円の商品を購入したいと電話をしてしまった。
しかし、今では「このデータを知ったからって、何なんだ」と思う。
占いと同じで、「分かった、当っている、だから何なの」といった感じ。
来店したお客様もそう感じたらしく、リピーターになる人は少なかった。
そんな例はいくらでもある、藤沢でのパソコンを使った学習塾の開業。
当時はパソコンを使った最先端の授業ということで調べもしないでスタート。
これには1年間挑戦し、事業としては失敗と判断、1千万円をどぶに捨てた。
ただ、そのシステムを私から引き継いだ人はそれで15年間飯を食っている。
つまり、人を雇って運営したら儲からないが、自分でコツコツと教えれば、
飯くらいは食えるビジネスだったということが分かった。
これらの失敗から学んだことは
? 「素晴らしい」と思っても、すぐには手を出さないこと。
? 購入契約の前に、優れた友人知人に相談すること。
(普通の素人に相談しても何にもならない時間の無駄)
? スタート前に出来るだけ多くの事例を見させてもらうこと。
? 人を雇って、自分は遊んでいられるような仕事はめったにないと思うべき。
? 始めに必ずマッピングをして、全体を俯瞰すること。
? 更に、それで失敗しても、食うには困らないようなマッピングであること。
最後に、「惚れっぽい人」が失敗しないためには有能な師を持つしかない。
あなたと同列の経験の少ない友達を相談相手にしていては危険なので
事業に成功している運気の強いプロに相談相手になってもらう方がいい。

七里ガ浜のアマルフィ、湘南の南イタリアレストラン

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楽々人生へマッピング

ブログマスターベーション
ブロガーが増えている。
そのこと自体は悪いことだとは思わない。
大金を使わずに、自分の経験や意見、主張を公に出来る。
ブログはこんな素晴らしい公器に成長した。
ただ、ブログには麻薬的な側面がある。
ブログに携わる時間とエネルギーはバカにならない。
自分では仕事に役立つと信じて始める人も多い。
しかし、その費用対効果がプラスになっている人を私は知らない。
金や物が全てではないが
使ったエネルギーに相応しいリターンを手にしたい。
その点で言うと、ブログはそのツールとしては余り適さない。
正に趣味以外の何ものでもないような気がする。
せいぜい、最初のうちだけ「あなたのブログ読んだわよ」と
優しい電話を2〜3本を受けるだけだろう・・・
それはお金にはつながらない、本当にただの趣味。
ましてや、コメントを読んで悦に入るなんて愚の骨頂。
それでもその人の生きがいになればいいのだろうが
我々ビジネスマンにはそんな感傷的な世界には反吐が出る。
ダイナミックに挑戦する人生には余りにも無駄な時間だ。
だから私はこんな行為をブログマスターベーションと言う。
使った時間からは必ずそれ相応の対価を生もうと真剣に考えている人なら
やはり、最初にマッピングをして、その概念を明確にしておこう。
「私はこのブログから1億円を生む」という目標を中心に書く。
こうして、己をのっぴきならない状態に落とし込んでいく。
あとは、やるっきゃない。

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マッピング

「インフォトップ」におけるアフィリエイターランキング調査によると
2008年4月度では、6万人中
アフィリ報酬100万円以上は11名、10万円以上が220名だという。
率にすると大儲けしている人は1万人中1.8人
まあまあ形になっている人が千人中3.6人

一流大学に入るよりははるかに難関の数字だ。
こんな大変な確率を突破しないと10万円も稼げない。
更に、このレベルに到達するには並々ならぬ努力と工夫がいるらしい。
「寝ていてお金が入る」なんてとんでもないのがネット上の世界なのだ。

新聞や週刊誌には「お店を持たない夢の商売」なんて言葉が踊っている。
「在庫を持たずに楽々スタート」なんてキャッチコピーもよく目にする。
しかし、世の中そんないい事尽くめの仕事があるわけがない。
夢の生活への道探しをマッピングしてみるときには
絶対にこんな楽な仕事があるなんて思ってはいけない。

マッピングとは「対応付けて図に描く」というような意味。
先ず、概念の中心となるキーワードを図の中央に置く。
そこから放射状にイメージをつなげて、目的地への道探しをする。

私のマッピングの具体例を挙げてみよう。
先ず、「幸せ」という言葉を図の中央に書く。
次に、その言葉の周りに幸せの条件を書く。
私なら、ラッセルから学んだ「健康、財産、仲間、仕事」と書く。

次に、健康になるための方法、例えば健康体操、食事、ストレスフリーライフ・・・
財産を築く方法、例えば賃貸業、金融業、コンサルタント業・・・
いい仲間を作る方法、例えば勉強会への参加、賃貸業仲間との交友・・・
いい仕事をする方法、例えば社会貢献、やりがい、得意分野・・・

こんな風に書いてから、それを毎日見つめて、更に書き足していく。
一気に書き上げないことが、いいマッピングをする上での大切なコツ。
これを眺めているうちに、自分の生活上の反省点や改善点も見えてくる。
また、成功への素晴らしいアイデアが浮かぶことも多い。

当然、自分が得意としないIT,関連のアフィリエイトビジネスなど
楽に儲ける幻想などが書き込まれることは絶対にないし、
例え書き込まれても、2〜3日でそれに気付き、消すようになる。

こうして、マッピングを続けていくと自分の目指す「幸せへの道」が
より具体的になり、必ず自分らしい幸せを手にすることが出来る。
そして何よりも素晴らしい効果は
この情報化社会で、自分に本当に必要な情報が何かが見えてくる。
これは現代社会で成功するための最重要条件だ。
「あなたは、あなたが成功するために必要な情報を集めていますか
まさか情報の渦の中で溺れてはいないでしょうね」

マッピングの一例

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楽々人生マッピング(44)

つきを呼ぶライフスタイル
斉藤一人さんの「つき理論」に傾倒している一人だ。
この考え方が身についていると人生そのものが明るくなる。
転んで足をくじいても、「今日はついている、家で本が読める」と考え、
ブログの内容が消されても、「消せるようにしておいてよかった」と取る。
つまり、一般的に嫌な出来事を「ついている」と考えてしまう前向きな生き方だ。
実際、私の人生はほとんどついていることばかりだ。
弁当屋の事業では半年で5千万を失った、普通なら暗い話だ。
しかし、赤字で閉店を決意したときも決して暗くなかったし、前向きだった。
「樹海に行こう」などとは考えもせず、前向きに明るく対策を練った。
閉店の三日前にその店を居抜きで借りてくれる人を自分で見つけた。
働いて毎月50万の赤字だったのが、働かずして50万の黒字に。
閉店してから14年、ここは働かずして1億円を稼いだ大切な店に成長した。
こんなことばかりが起こる人生なのも、斉藤一人さんと同じ生き方だから。
つらい心臓病も私の人生では神様からの贈り物だと前向きに考える。
きっと、「ぴんぴんころり」のきっかけになるように神様がくれたのだ。
長生きが出来ないなんて、何と恵まれた人生だ!
塾時代も、社員に理解されなかったお陰であの仕事をやめる決意をした。
理解してくれないなんてぼやいたり社員を非難したことは一度もなかった。
(ちょっと辛いことはあったけれど・・・)
そんな私の経験を参考にして、最近同じように会社を売った後輩がいる。
私を手本にしているから、もちろん彼も私以上の大成功者になった。
私の辞書に不景気なんて言葉はない。
今は「百年に一度のビッグチャンス」だと思って行動している。
だからか、リーマンショック以来いい事ばかりが起きている。
斉藤一人さんはいう
「何でもかんでも、俺はついているといい続けろ」と。
そうして、「毎朝、感謝の気持ちで目を覚ましましょう」と。

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幸福実現法(43)

ピンチをチャンスにする法
破産、倒産、失業、病気、災害、離婚、詐欺被害、・・・
こうした最悪の出来事の全てが再起&成功のきっかけになる。
そう言って、本田健さんや斉藤茂太さんはその著書の中で
さ迷える我々を励ましてくれる、幾つかの体験談を交えながら。
「最大のピンチは最大のチャンス」 
「ピンチは飛び立つための向かい風」
多かれ少なかれ、誰でもこんな内容の本を何冊かは読んで育っていく。
私もそうやって、65年間生きてきたし、これからも前向きに生きていきたい。
しかし、再起&成功の確率は彼らが言うような100%ではない筈。
最大でも90%くらいではないかと思っている、私は。
(100%の方が大げさで面白いが・・・・)
それも本当に真剣に再起再生を願って行動した人の9割であって、
真剣でない普通の人も含めたら再起再生の確率は5割にもならない筈。
1年に3万人を上回る自殺者の中の多くが再起を果たせなかった人たち。
更に、不治の病の場合は彼らが言うほど簡単には再起再生できるとは思えない。
(それでも、100%の方が大げさで話としては面白い・・・・)
では、困難を克服し再起を可能にする普通と違う真剣さとは何だろうか。
一時的な成功や一時的な再起なんていう誰にでもある成功でなく、
死ぬまでの真の成功は、「真っ白な心」を持つ人にのみ与えられる。
心が澄んでいないと正しく物事を判断できないし、将来を見抜けない。
心を真っ白にするための第一歩は、「三み三り」を捨て去ること。
「恨み、妬み、僻み、怒り、驕り、焦り」がないことが再起の基本条件になる。
神道では、この真っ白な心の人が成功する法則を次のように言う。
「万物の霊と同体なるが故に為すところの願い成就す」
万物の霊と同体になるとは心を真っ白にしてこそ可能なこと。
仏教的には、「無」という精神状態なのだと私は理解している。
「無」とは恐れや怖さを消し、物事の本質を見るための心の状態。
「無」を手に入れるために特別な修行をする人もいるが
普通は「三み三り」を捨てて、純粋な心を持とうとすれば、
「無」は誰でも手にすることができるものだと確信している。
そして再起再生にどうしても欠かせないのが「運」
「運」とか「ツキ」には霊的な部分もあるような気がしてならない。
「運」の霊を持たない人のそばには近寄らないほうがいい。
勉強不足で具体的には説明できないが、これは重要な再起&成功の条件だ。
運が開けない人たちを見ていると、彼らは不思議と同類で集まる習性がある。
だから、「危険だ」と気がついたら、少しずつそんな集団から離れる方がいい。
別の言い方をすると、「悪い気」をもった人たちには近寄らないこと。
(真っ白な心を持っている人だけが運の悪い霊の持ち主を見分けられる)
「ツキ」は向こうからやってくることも多いが
「ツキ」を呼ぶテクニックもいくつかある。
いずれにせよ、動かずに待っていては運が開けない。
運のいい人になるテクニックとは運のいい人を見分ける術と一致する。
? 難しい話をしない、知ったかぶらない
? 威張らない、偉ぶらない
? 引き込まれるような話し方、勢いのある語調
? 明るくて、魅力的で、一定数のファンがいる。
? 相手によって態度を変えない、あなたを気分よくさせる
? 勉強家で努力家(この勉強とは机に向かうこととイコールではない)
? 健康に気を配る、特にこれからの成功者は。
かくして、生涯、楽しく明るく生きる仲間に入る条件が整っていく。
母とて可愛くない子には救いの手を差し伸べようとはしない。
ピンチをチャンスの母に出来るように前向きに明るく生きたい!
ピンチのない人生はあり得ないのだから。

本田健さんの講演会、ここにも50代の女性が目立つ。

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幸福実現法(42)

因果応報 
 鎌倉プリンスの朝食バイキングに誘ってくれる友人がいる。
そこの美味しい食事を頂きながら聞く彼の老後の設計は羨ましいほど完璧だ。
だから、彼の話を聞くとがっくりする人もいるかもしれない。
彼は一流企業のサラリーマンで、年齢は54歳。
彼とはよく人生論を話すのだが、今日の話は老後の生活設計。
その話の中心は今問題の年金。
定年退職すると厚生年金が20万、企業年金も20万、個人年金が8万。
これは、彼が退職後に手にする毎月の年金額だという。
更に、今住んでいるマンションを月15万円で貸すから毎月の収入は65万円。
そして定年後は、親の残した千葉の田舎の一軒家に住むというのだ。
ローン返済のない手取り65万円の収入と親が田舎に残した一軒家。
実に羨ましい話だが、死ぬまで手に入るのは厚生年金とマンション家賃だけだ。
それでも、75歳からの37万円は十分すぎる額だ。
これほどまでに完璧な老後を設計している人に出会ったのは初めてだ。
私のような不安定な自営業者には一体どんな老後がやってくるのか?
絶対に言えることは、お金があるときに家作の一つも買っておくことだ。
やっぱり、人生はしっかりと生きなければいけないなーとつくづく思う。
軽薄に生きて、
読書三昧に生きて
一人天下で生きて、
何も考えずに生きて、
飲んだくれて生きて
女遊びをしまくって生きて
老い支度をしないで生きて
飲み屋で自慢話をして生きて
先人に何も相談しないで生きて
精一杯仕事に打ち込まない毎日を過ごして
年老いた己の不幸を「世の中が悪い」と他人のせいする人生は余りにも寂しい。

花の一つ一つに思い出がある。クリスマスローズにも・・・

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幸福実現法(41)

宗教談義
「宗教を信じることで自分の内なる強い力を捨てているような感じがする」
「俺もそう思う、宗教では自分の魂を教祖に売るような感じがある」
「そこまでは言わないけど、教祖に利用されている面はある」
「そのひどい現象が殉教、爆弾を抱いて死んでいく光景には耐えられない」
「先ずは教祖ありきっていうのが嫌だ、先ずは家族のことを優先しなきゃ」
「それにしても雨後の竹の子のような新興宗教の台頭は一体何なんだ」
「まだ5千の宗教法人が売りに出ているそうだ、平均1億円だって」
「俺も無税の教祖になりたいなー、高い消費税にはもう我慢ができない」
「特に50代前後の女性の数が多すぎる、旦那が可哀想だ」
「家族のために稼いだお金がどんどん教祖に流れていってしまう」
「母は子育てが終わると一瞬方向性を失う、そこに宗教が入り込む」
友達数人が集まっての宗教談義。
「肉体を動かすのが心、その心が弱いと自分を動かす力を他に求める
それが宗教への興味の始まりで、周囲には大変な負担だ。
自分の心の奥底にある自分の力そのものを信じなければいけないのに」
そう言うのは、長年心理学的な勉強を続けてきたYくんの意見。
「お布施が全くいらない宗教ってないの?
布教活動をしなくていい宗教ってないの?
規則のない楽しいだけの宗教ってないの?
他の宗教を認め、戦争をしない宗教ってないの?」
といつもと同じ疑問を投げかけたのは例によって私。
「その通りだ、お布施と布教に忙しくて自分の仕事をダメにした人が多いらしい」
「布教というただ働きを気付かせないように巧みに教義を組み立てている」
「幸せになるために必要なのは信仰と愛、特に与える愛が大切だと教えるんだよね」
「奪う愛でなく、与える愛を強調し、お布施へと結びつける、実にうまい」
「本人が自分で稼いでお布施するならいいが、俺の給料を使うのは許せん」
「そうだ、旦那から預かったお金をお布施して、与える愛もクソもないよな」
「俺は宗教の話そのものが嫌いなんだ、悪霊だの憑依だの訳が分からん」
「宗教では肉体を動かすこの心をわざと磨かせないようにする。
そうして、この心を教祖の意のままに動かし、金を集める。
ところが、信者は己の信仰と愛に酔って、その純粋さを理解しない人を責める」
そう言って、大きなため息をついたのは大柄なFくん。
「宗教を信じて幸せになるのなら個人の勝手じゃないの?」
「もちろん信教は自由だよ、でも旦那に保護されながら教祖を一番に考えるのは嫌だ」
「俺も、それだけは気分が悪い、離婚して独立してから本当の信者になればいい」
「でも、自分で稼いでいる男の信者についてはどう考えるの」
「それは正に信教の自由さ、大いに信じて幸せを求めるがいい」
マザーテレサは言った、
「あなたの宗教で祈りなさい、あなたの言葉で祈りなさい
私も自分が知っている言葉で祈ります
二人で祈れば神はきっと聞いてくださいますよ」
自分の宗教、自分の言葉、自分の心
そう、自分の心の力を信じ、強く生きていきたい。
教祖へのお布施でなく、社会にお布施したい、私は。

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幸福実現法(40:仕事)

定年退職と独立
我が人生、何度も新しい事業に挑戦した。
しかし、その中で最終的に黒字になった事業は少ない。
確率で言えば2割くらいだろうか。
何度も書いた学生時代の喫茶店(スナック)は成功だった。
東京タワーの下、飯倉の豪華なマンションの賃料を払い、
当時の高級車に乗り、卒業時に400万円は残った。
新卒の初任給が2万円台の頃の話だ。
そのお金で卒業と同時に家を建て、サラリーマンになった。
高度経済成長期の、そう、古き良き時代の夢物語だ。
それから、その気になって10以上の新事業に挑戦し、失敗しまくった。
その経験から言えることは、「失敗を前提にスタートしろ」 
失敗して撤退しても生活に困らないようにしておかなければいけない。
「不退転の決意」なんて格好いいが、それでは命が幾つあっても足りない。
失敗の原因で一番多いのは軌道に乗る前の資金ショート。
定年の退職金で居酒屋やラーメン屋など飲食業に挑戦する人が多い。
当然始めるだけで1千万以上の金が要る、恐ろしい。
ところが、軌道に乗るまで数年の生活費まで考えに入れている人は少ない。
本当は、合わせて2千万近く用意する必要があるのに。
私は思う、定年後の事業は退職金の半分以内でスタートすべきだと。
残りの半分は、軌道に乗るまで耐え忍ぶ3年分の生活費だ。
この3年分の生活費を考えない楽天家の独立希望者ばかりなのが不思議だ。
立ち上げにあまり金のかからない学習塾はどうだろうか。
チラシ1万枚を撒いて、何人の申込を予想したらいいか。
印刷代5万円と折込代4万円の9万円で申込は一人か二人だろう。
まだ子供の多かった25年前に、三浦市で1万枚撒いて一人の申込だった。
だから、単純計算で11人集めるのに約100万円かかる。
しかし、独立を考えている退職者でこんな風に計算できる人はいない。
話してみると、1万枚の広告で10人は集まると思っている、実に甘い。
1人1万5千円の授業料は11人で165000円、1年で198万円。
駅前の貸しビルだと家賃が10万はするだろうから、
造作費は別にして、生徒11人で、月にやっと手取りが65000円。
これから水道光熱費を引いたら残りはやっと5万円、厳しい数字だ。
だから、3年やって、運よく20人も集まったら、大成功。
最終目標が月に20万円、定年後の挑戦なんてこんなもの。
若くて魅力的な青年が始めても、多くて40人くらいの生徒しか集まらない。
だから、今では、塾経営で月に50万円以上稼いでいる人なんて稀。
そして、運よく成功しても、隣に競争相手が来たり、病気になったら、
あっという間に、生徒数が一桁になる、恐ろしいが現実だ。
もう、募集のチラシを撒く金もない、だから悲しく閉鎖する。
兎にも角にも、独立した場合の失敗の確率は9割だと肝に銘じておくべき。
失敗したときの悲しい景色ばかりを思い描いて、
それでもやりたければ始めればいい。
夢のない話で申し訳ないが、それほど独立は難しい。
独立前に、真の経験者の話を聞くことを忘れないことだ。
もちろん、運の強い成功した経験者の意見が役に立つ。
大したことのない人の話などいくつ聞いても役には立たない。

葉山は堀内にある恵土(えど)

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幸福実現法(39:生涯現役)

好々爺(2)
「やー、素敵なお宅ですね」
開口一番、人を気分よくさせる言葉で事務所に入ってきたお爺さん。
喜寿を優に過ぎていると言うのに、身なりが実にダンディ。
最近私と土地の取引をした大成功者の方。
麹町の60所帯の賃貸マンションを皮切りに
賃貸マンション5棟、時間貸し駐車場8箇所、商業ビル3棟を所有している。
月間賃貸料が2千万を越すというのに、社員がゼロというのは凄い。
管理は全てアウトソーシングで、優雅な毎日を送っている。
この方も横浜で、事務所がマンションの一室だという。
最近私も気が付きだした事業の成功法則を地で行く人だ。
この歳で、毎朝10時には事務所に入るという自己管理能力も見習いたい。
更に、これだけの規模だというのに、実に腰が低い。
ましてや、年長のお爺さんが私の方に出向いてきた。
「私がお伺いしますから」と何度も言ったのに、
「素敵な方だと聞いたので」とお世辞を言って訪ねてきた。
土地の売買では必ず相手のお宅に伺うというのが真相らしい。
土地の良否を判断するにはその持ち主から調べるという。
持ち主が嫌な人なら、土地が良くても売買をしないと決めている人。
土地にも運があり、それはその前所有者と深く関わっているからだという。
私は、土地の売買では契約時に初めて相手に会うことが多かった。
そう言えば、買ってから埋設物が出てきて苦労したこともあった。
売買する前に、相手の顔を見、お茶をしながら長話をして、
相手が隠しているようなことをしっかりと見抜くのだそうだ。
横浜はこの半年で賃貸料が上がった日本で唯一の所だと言う、
この歳で、こんな最新の情報までもしっかりと掴んでいる。
やはり大成功する人は全てにおいて普通の人と違う。
その後、この好々爺には食事に連れてってもらったり、
先斗町に招待してもらったりと大変お世話になっている。
学ぶことも多く、私もこんな腰の低い大老人を目指したい。

葉山の名店「若菜」から見る棚田、森戸海岸近くの恵土(えど)も美味しい

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幸福実現法(38:素敵な大人)

好々爺(1)
マンションは人間を磨く最高の舞台だ、ちょうどよく人と人とがすれ違う。
この舞台では、皆の憧れの魅力ある爺さんは素敵な挨拶をする。
よく観察していると、それは自信と深く関わっているようだ。
自信のない男は、どうせ挨拶しても無視されると思って挨拶を躊躇する。
また、自信を持ちすぎる傲慢野郎も挨拶をしようとしない。
どこの一流企業の役員かは知らぬが、この舞台上ではただの人、
大したことのない奴ほどこんな育ちの悪さを露呈する。
すれ違いざまに、とても素敵な会釈をされると一日中気分がいい。
だから自分もそんな会釈が出来るように日頃から努力している。
こんな会釈をするには、僻みや妬みのない美しい心が欠かせない。
美しい心から素敵な会釈が生まれ、それが上品な挨拶につながっていく。
魅力ある爺さんの必要条件が特上の挨拶なら、次に必要なのは知識か。
しかし、知識があっても魅力のない男はいくらでもいる。
人をテストしたりしない謙虚さに裏づけされた知識が魅力的。
それこそが究極の「知性」というものだろう。
どんな話題になってもそつなく入ってくる男こそが理想だ。
歳がいくと体だけでなく心も柔軟性を欠いてくる。
自分の考え方だけが優れていると思っている人のなんと多いことか。
そんな頑固者だけにはなりたくない、実に格好が悪いから。
さんまや紳助にはなれないだろうが、あんな軽さと柔らかさが好きだ。
そして、爺さんの魅力を語るのに欠かせない言葉が「男性的」
この世の半分は女性だから、このことばの定義は難しい。
女性から見た魅力と男性から見た魅力とは違うから。
その意味では、性的な部分だけでなく包容力とかパワーも欠かせない。
愛する人を命がけで守ろうとするパワーほど魅力的なものはないし、
安易にリストラなどせず、社員を最後まで守る経営者も男性的だ。
最後に意見が分かれるのが「徳」
徳のある人は素敵だが、爺さんの魅力の必要条件かどうか。
徳を積んだ男は素敵だが、「ちょい悪」にも魅力がある。
余りにも完璧な人には私も近寄りたくない。
こればかりは「ほどほど」がいいし、
そうでないと私にも都合が悪いから。

よく泳ぎに行くヒルトンホテル

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幸福実現法(37:報い)

大家受難の時代
「なんで不動産屋に菓子折りなんて持っていくの」
「いつも店子を紹介してくれたりしてお世話になっているから」
「世話しているのは大家のあんたじゃないの?」
「でも、いろんな情報もくれるし・・・」
「菓子折りは不動産屋が持ってくるべきだ」というのが彼の言い分。
そう言って私を笑った地主の彼、今は古希を迎えた冴えない爺さん。
30年の歳月は容赦なく二人の間に大きな差をつけた。
「驕る地主は久しからず」とはよく言ったものだ。
時々、ハウスメーカーさんから講演会の案内がくる。
だいたいがアパート経営の現状に関するものが多い。
そこで日本のあちこちで起きている身も凍るような話を聞いて、
30年前のこんなどうでもいい会話を急に思い出したのだった。
今、大阪や北海道では家賃の急激且つ大幅な下落が始まっている。
人口減少で貸家やアパートが余りだし、過当競争が始まったのだ。
そこで大家は借主を紹介してくれた業者にボーナスを出すようになった。
菓子折りなんて安物ではなく、家賃の一か月分のお礼を出すのだという。
そう、通常の不動産屋分に加えて更に営業マンに渡たす分を払うのだ。
だから、不動産屋の営業マンはボーナスの出るアパートしか紹介しない。
当然、漫然と過ごしている大家の建物にはくもの巣が張るようになる。
手を拱いている大家には借主の見つからない苦しい日が何ヶ月も続く。
栄枯盛衰はこの世の常とはいえ、本当に時代の変遷が激しい。
今や大家の受難時代、少子化の影響は彼らにとって余りにも大きい。
でも、30年後のこんな今を見越しての私の行動ではなかった。
私は自分の仕事を支えてくれる人は皆大切にしている、今でも。
という訳で、不動産屋さんにも感謝の気持ちで菓子折りを持って行った。
老後と言うのは若い頃のあらゆる行いの報いを受けるとき。
大酒のみや女狂いは言うに及ばず、ちょっと傲慢でもこうなのだ。
短いようで長い人生、かなり真剣に生きないととんでもないことになる。

海苔巻きかつで有名な北久里浜「とん吉」のオヤジと北海道は倶知安の話に花が咲いた。

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幸福実現法(36:老後の趣味)

愚痴の気
還暦過ぎに多くの人が育てているのが愚痴の気。
この気が家に充満するとかかる病があの恐ろしい「うつ病」
一度かかると、周りの人にも大変迷惑な病だ。
愚痴の気が育ちすぎる原因にはいろいろあるが、多くは有り余る暇。
これに金欠病なんかが重なると更に育ち過ぎ、病がひどくなる。
最近、裕福な友人の奥さんは「店」を持つことでこの病を克服した。
子育てを終え、50代に抗うつ薬を飲みだした彼女。
最初は愚痴ばかりの毎日で旦那を困らせていただけだが、
そのうちに、大声で騒いだり突然泣き出したりとかなりの重病に。
しかし、旦那が彼女のために目黒にブティックを開業、
それを還暦のお祝いとして彼女に任せた途端に大変身。
それから3ヶ月、あっという間に薬から開放され、
今では、嘘のように明るい素敵な奥様に変身。
このときに思った、「人は考える葦」ではなく
「考えないではいられない葦」なんだと。
だから、頭を使わせることが愚痴を言わせない最高の手段だったのだ。
体の自由が利かなくなった人が頭を使うのにぴったりなのが「株」
「痛い、死にたい」の愚痴ばかりの毎日だった友人も株を始めてからは
こんな言葉をあまり使わなくなって、前向きに生きるようになった。
こうなるとリハビリの成果も一段と上がるというから摩訶不思議。
もちろん、熱くなりすぎて家を売る羽目になっては元も子もない。
「300万円だけ」という感じで金額を決めて、楽しみでやるのがいい。
店も株もまとまったお金が必要だが、お金の要らないのが編み物や読書。
日がな一日、陽だまりで「編み物」や「読書」をすると、思考が止まってしまうらしい。
読書好きには恐縮だが、読書に思考停止の薬効があるのを知っている人は少ない。
医者から聞いた話だが、歩けなくなってからの明るい毎日には最高の薬なのだそうだ。
思いっきり頭を使わせるか、完全に思考停止状態にするかが治療法という訳だ。
老人ホームではそんな治療法を知らない人ほど暗い毎日を送っていると聞く。
若いときとは違う「老後専用の趣味」を考えておくことも大切なのでは。
さて、私のサイクリングの次の趣味は何にしようか?
「ヒルオケ」には行きたくないし、酒は嫌いだし・・・

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幸福実現法(35:社会貢献)

思考停止化政策
「バカの壁」という言葉が流行語の一つとなったことがある。
養老孟司著『バカの壁』を読んでみると、詳しく書いてある。
「それ以上の理解を諦める、あるいは聞く耳を持たない、・・・」
という形で思考停止状態になり、己の周囲に作っていく壁が「バカの壁」だという。
要するに、その壁によって自己満足の世界に閉じこもったり、
その壁に隠れて他の世界との交流を絶ち、
本人だけが思考しているという錯覚で自分の世界に入り込むこと。
その結果真の進歩が止まり、実社会でそれまで以上に役に立つ人間にはなれない。
これが国家戦略として使われた政策が何かは察しがつくだろう。
「パチンコ、風俗、競馬・競輪・競艇」の三大解放政策。
出来るだけ多くの国民を思考停止にしてバカの壁を作らせ、
政治への無関心を作り出すことが国家のガバナンスを容易にする。
法律上は「賭け事禁止」のはずだが、実際は博打天国日本なのだ。
法律上は「売春禁止」のはずだが、実際は売春天国日本なのだ。
「読書が趣味」なんて官僚が聞いたら随喜の涙で大歓迎だ。
「知的な趣味ですね」なんて心にも無いお世辞を言う裏で、
「自分の世界に入り込んで、大いにバカの壁を作れ」と願っている。
読書には、前向きに知識を増やす読書と時間を潰すだけの読書がある。
後者の読書にはまっている人を「読書が趣味の人」という。
よく耳にする会話がある。
「何で韓国ではすぐに国民が暴徒化するのか」とか
「なんでイスラム諸国は戦争ばかりしているんだろうか」など。
そう、これらの国には上記の3つが全部欠けている。
つまり、国民は皆、思考が活発で、政治に関心を持ちすぎているのだ。
これらの国にパチンコや風俗を輸出したら、世界はもっと平和になる。
そうだ、最初に北朝鮮に輸出しなければならない、特に軍人たちには風俗が必要だ。
そうすれば、もっと穏やかで、日本人のようになる。
「どうでもいいじゃん」と言って、核開発を止めるかもしれない。
日本で選挙の投票率が低いのはこの国家戦略が功を奏しているからだ。
簡保の宿もグリーンピアもすべてこの意図をもった政策の一環である。
「さー、遊べ」、「さー、休め」、「さー、家族奉仕だ」と嘘を並べて、
国民総白痴化を狙ってのことだ、パチンコだけでは足らなくて。
おまけに、自分たちの天下り先まで作ってしまう、本当に官僚は頭がいい。
電車の中で、漫画を読みふける若者たちの姿も官僚たちを喜ばせている。
「もっとバカの壁を作れ、もっとバカになれ」と心の中で叫んでいる。
そして、麻生総理に進言する、「緊急経済対策費でアニメの殿堂を作りましょう」と。
これらを見て、中国の官僚が言ったそうだ、
「もう日本を属国に出来る日は近い」と。
「まー、属国でもいいじゃん、パチンコにでも行きましょうか」
ダメ、駄目、そんなことではだめですよ。
さあ、老後はもっと勉強しましょうよ、
お迎えが来るまで無為に過ごすなんてことは止めて、
地元を、日本を、世界をもっとよくしましょうよ。

八景島サイクリングで立ち寄る称名寺

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サイクリング:1

楽々サイクリング
爽やかな風を頬に浴びての5月のサイクリングは気持ちがいい。
新緑がまぶしい梅雨の合間のサイクリングも捨てがたい。
夏至を過ぎたら、夜のサイクリングが最高だ。
京都や倉敷でのサイクリングではそれまで抱いていたこの街の印象が変わった。
こんなサイクリングをするようになって、益々日本が好きになっていく。
今年は前年にもまして自転車に乗る回数が増えた。
歳なので目的地までは車で行き、のんびりと街や村の観察を楽しむ。
(  )内は駐車料金、そこに車を置いてスタートする。
最近走った場所は、
江ノ島:片瀬海岸(1時間400円)⇒湘南サイクリングコースを往復する2時間コース
      ※富士山に向かって走る夢のコース。途中で辻堂公園や松林で道草をする。             

神宮球場(1時間500円)⇒外苑⇒原宿⇒青山⇒赤坂⇒外苑で2時間コース
      ※いつも原宿のテラス喫茶でくつろぐ。赤坂サカスでは自転車を下り、
        ミッドタウンまでウィンドウショッピングを楽しむ。
新宿御苑(3時間500円)⇒四谷4丁目⇒麹町⇒半蔵門⇒三宅坂⇒永田町
             ⇒プリンスホテル⇒四谷駅⇒御苑で3時間コース
       ※麹町周辺には楽しくお茶や食事をする洒落た店が多い。
東京プリンス(1時間700円)⇒日比谷公園⇒皇居一周⇒虎ノ門⇒芝公園
       ※.昼間でも走りやすい美しい日本の中心2時間コース。
逗子マリーナ(1時間500円)⇒材木座海岸⇒滑川交差点⇒鎌倉市役所⇒
                  銭洗弁天⇒和田塚駅⇒逗子マリーナ
       ※市役所前のスタバで疲れた体を休めるのが好きだ。
         走り方にもよるが休みを入れて3時間あれば十分。
山中湖:花の都公園(一回300円)⇒山中湖周遊サイクリングロード⇒
                       忍野村⇒花の都公園で3時間コース。
       ※7月初旬まで緑のまぶしい高地のサイクリング
芦ノ湖:湖尻(無料)⇒ザ・プリンス箱根まで走り、そこで散策してUターンする。
       ※車の通らないうっそうとした林の中を走る。露天風呂込みで3時間コース。
        蛸川温泉箱根湖畔の湯で絶景にうっとり。

田園調布(1時間600円)⇒お屋敷街を一周してから多摩川沿いを走る3時間コース
       ※最終コースは田園調布倶楽部でのカフェラテ。ちょっと変わった雰囲気に
        今まで以上の闘志が湧く、「俺にだってこのくらい出来るはずだ」と。
砧公園(1時間300円)⇒公園内一周⇒東映撮影所⇒成城の街一周⇒砧公園
       ※桜の頃は必ず来たい。あまり見たことのない桜を堪能できる。
事務所からスタートするのがMM・山下公園周遊コースと八景島コース。
MMは夏の夜、夜景を楽しみながら走るのが最高。外国の友人も感嘆の声を連発した。
八景島コースでは浜辺を走る、シーパラダイスではいろいろな無料イベントを楽しめる。
友人が大好きな境川サイクリングコースや酒匂川サイクリングコースはまだ未踏破。

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幸福実現法(33:事業)

老後はプロになろう
土地を売るときによく受ける質問は
「いくらで買って、いくらで売ったんですか」
もちろん、その儲けや損に興味があるからだろう。
しかし、プロならこんな風に質問する、
「その土地は持っている間にどのくらい稼いだんですか」と。
本当はそこが一番大切なポイントだから。
それに売買の儲けを加算して、はじめて正確な物件評価になる。
日本郵政の資産一括売却問題にもこれと似た要素を含んでいる。
安く売るから背信行為だと西川社長を責めている輩に腹が立つ。
前任の官僚が不当に高く買ってしまった土地と無駄にお金をかけた物件など
誰が処分しようとしても安くなるのが当たり前なのに!
先ず、高く購入し、赤字を垂れ流した郵政官僚こそがワルなのだ。
年金保険料1,953億円を投じたグリーンピアを48億で売却した悪徳厚生官僚も、
ほとぼり冷めた今では天下りの甘い汁を吸いたい放題、また同じことが繰り返されるのか。
次に、それらがほとんどが無縁資産だということを認識していない世論が情けない。
つまり、上げると言われても欲しくないような物件が半分以上なのだ。
そして極め付けが毎年40億の赤字を出している現状への無関心。
「黒字だけが善ではない」と言い出す亀井久興には呆れて開いた口が塞がらない。
一度ヤフーのオークションにでも出せばいい、あんな高額では誰も買わないだろう。
現在いる社員を引き受けなければいけないあんな物件は二束三文に違いない。
「買った価格」と「売った価格」しか頭にないそんな国民に意見を聞くこと自体がナンセンス。
そしてそんな世論の支持が下がったと更なる報道をするマスコミにもうんざり。
また同レベルのみのもんたに頷いている出演者の偽善顔とゴマすり顔がいやらしい。
己の10億の年収をひた隠し、西川氏の収入を高いと責めるもんたの偽善も不愉快千万。
こんな衆愚政治で中国に勝てる訳がないし、北朝鮮にすらいいようにあしらわれるだろう。
自民も駄目だが世論に迎合し本筋を語らない民主も駄目だ。
ミサイル発射と核実験の北朝鮮に重油を140億円分も援助しようとした
あの友愛の鳩山兄弟が話題の中心では、日本の将来なんて真っ暗だ。
選挙では一体誰に投票したらいいのだろう?
学ぶ時間のある老後こそ、プロの目で政治に正義を!

「122億+運営赤字8億」がパーになった
悪の象徴「グリーンピア南紀」をお忘れなく。

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幸福実現法(32:交友関係)

刺激になる友
高校時代に迷惑をかけ、成人してからも世話になった旧友に会った。
銀座での30年ぶりの再会だったが、30分で昔の二人に戻る。
碁や将棋の好きな典型的な秀才と半分やくざな人生を送った二人。
当然、今の生き方や老後に対する考え方も大分違っている。
碁の仲間と過ごす休日に対してサイクリングに出かける休日。
当然、趣味の話に共通点が少なく、お互いに気を遣って別の話題に。
ご多分にもれず、病気の話に花が咲く。
「心臓が悪くて、何時死んでもおかしくないんだ」と自慢げに話す私。
「俺も2年前にアブレーションの手術をしたんだよ」と意外な返答。
後は、何の薬を飲んでいるだの、病状はどうだのと話が尽きない。
しかし、所詮彼は1000人に一人の秀才、率で言えば全人口中0.1%の少数派。
彼と話が全て一致したら、商機的には世の中の大勢は掴めないという感じ。
「あー、多数派の凡人でよかった」と自分に都合よく安堵する。
本でも書いて儲けるかという話に。
「3千部も売れたら御の字だ」と彼がいう。
「俺だったら、1万は売れる本が書きたい」と口を尖らせる。
「高木、そりゃ無理だ、そんなに世の中は甘くない」とまともな返事。
秀才は先が読めるから冒険的なことは望まない。
ところが、おっちょこちょいの私は脳天気なことを言う。
当然、今までの人生でもそうだったのだろう。
「本を書く前にブログを書いて、文章力を磨いているんだ」
「じゃー今日読んでから電話で感想を言う」
ちょっと彼の感想を聞くのは怖いが、老後にタイプの違う友に会うのは楽しい。
老後にも進歩を望むなら、いつもと違う仲間との刺激も忘れてはならない。
※訂正:ご多聞はご多分の誤りでした。能天気は脳天気とも書くので敢えて
後者を使いました。早速のご指摘、ありがとう。良き友に囲まれての老後に感謝。

旧交を温めた「銀座うかい亭」

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幸福実現法(31:不動産活用)

2代で無縁資産
出生率が二人を下回った今の時代、
立派な墓を造っても平均2代で無縁墓になっていくという。
こんなことを考えていたら、変な連想が頭に浮かんだ。
市場で取引の出来る共有制会員権の会社は日本には5社くらいしかない。
リゾートトラスト、ハーベストクラブ、・・・・・
その他数多の類似する共有制会員権は売りたくても売れない訳か。
では、こんな共有制会員権のリゾートマンションはどうしたらいいか。
無縁墓ならぬ無縁資産になるのを覚悟しなければならないのか。
25年前、厚生施設として湯沢の共有制会員権を購入した。
その後数年で、買い戻し請求権を行使して売却した、それなりの損をして。
しかし、一緒に購入した友人はそれを今日まで持ち続けている。
当然買い戻し請求権は喪失し、維持費の支払い義務だけが残った。
これは岩原スキー場前の、温水プール付きの洒落たホテルマンション。
このリゾートホテルマンションの共有持分は一人約千分の一。
販売した地方の運営会社は未だに存在しているが、実態は有名無実。
当然、千分の一を登記しているので年に数千円の固定資産税がかかる。
また、管理費の請求も来る、管理組合が存在していなかったのに。
管理費の滞納分数億円は運営会社が立て替えているというが・・・
一昨年、管理費の徴収を合法化するため、形ばかりの管理組合が生まれた。
そして、この運営会社が管理組合を作った最終目的は修繕費の徴収。
修繕費を組合員一人から百万円、総額10億円を取ろうと考えている。
管理組合の総会には自社から送り込んだ組合員しか出席していない。
やりたい放題のリゾートマンションの総会風景だ。
ところが、こんな管理組合でも自由には退会できない。
そう、マンションの共有者は法律でそう決められているのだ。
では、どうしたらいいか。
やる手は一つしかない、今日私はそのすごい方法を考えついた。
それにつけても、老後には法律に詳しい相談相手が必要だ。
千変万化、諸行無常、複雑極まりない世の中だから。
それにしても、軽井沢の山の中や伊豆の〜別荘のように
あげると言っても貰い手のない無縁資産の何と多いことか。
老後の夢を餌にしてこんな土地を売ろうと近寄よる人にはご注意あれ。

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老い支度(30)

判断力の衰え(2)
板橋の資産家惨殺事件。
多くの人が内心思ったに違いない、
「あんな金持ち、殺されてもしょうがない」と。
もちろん口には出さないが・・・
あの資産家夫婦は「判断力」が衰えていた。
でも、本人たちはそれに気付いていない、
「まだ、こんなに元気だし、ボケていない」と。
そして事件が起きてしまった。
板橋だけでなく、多くの資産家も人の子。
夜の街で、いい気持ちになりたいのはよく分かる。
でも、「月の小遣いが300万」なんて言ったら、
更に、「家にはカメラを6台つけた」なんて吹聴したら、
そんな情報はあっという間に裏の世界に流れてしまう。
ボケるとそんなことも分からなくなるのだろう。
私の周りにはあの程度の資産家が何人かいる。
西区の友達は、用心深く超がつくほどの慎重派。
他人は家に入れないし、夜の街にも出て行かない。
夫婦でちんまり生きている、でも、こんな生き方は好きではない。
金沢区の資産家は、もっと資産を増やそうと、
あちこちの不動産屋と土地探し、株屋との情報交換。
会社が有名でも、担当者の素性までは分からないのに、あー、恐ろしい。
自宅は教える、隠れ家には招く、酒は酌み交わす。
もうすっかり情報は盗まれた、何時狙われるかと心配だ。
横須賀の江戸時代からの資産家は、いつも裁判所通い。
不動産のごたごたが年中5件はあると豪語する。
そんなに店子(たなご)を苛めちゃいけないのに。
その彼はもう67、判断力は大丈夫なの?
遊び好きな港南台の老人は、テレビで聞きかじったような知識で
千坪の自宅にカメラを9台つけ、有刺鉄線を張り巡らせた。
板橋の事件の後に、慌てふためいたように。
そういえば、彼も高額納税者番付の常連だった。
そんな素人が考えた防犯なんて、命を守るのには何の役にも立たない。
カメラは犯人捜しには役立つが、死んでから犯人が見つかっても意味がない。
それに、奴らは仕事が終われば日本にいない、カメラなんて気にしてない。
こんなことは今では誰でも知っていると思っていたが・・・
資産家も、知らず知らずにボケている、知らぬは本人ばかりなり。
だから、元気なときから正しい生き方を復唱するしかない。
「驕らず、謙虚に、慎重に、
目立たず、小さく、大人しく、
御免、済まない、ありがとう」

この家の弱点は?

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老い支度(29)

大悟徹底 
50代に会社を潰した高校時代の友人。
やつれた顔を想像しながら待ち合わせのレストランに。
ところが、そこには弥勒菩薩のような穏やかな顔の男が座っている。
挨拶もそこそこに、13年前の倒産劇の話だ。
「どうやって、蘇ったんだ?」
「樹海で悟ったんだよ、それからは怖いものがなくなってね」
「何だ、その悟りっていうのは?」
負債3億で倒産し、債権者から逃れて樹海に行った、死ぬつもりで。
富岳風穴バス停から10分ほど森の中の遊歩道を歩いて、そこで道から外れた。
大きな溶岩洞窟の前で横になり、己の生涯を振り返り、涙しながら横になった。
明け方、朦朧としている彼に仏様が話しかけたという、
「あと12キロ痩せてから、またここに来なさい」と。
それから彼は東京に戻って、事業を清算し、新たな挑戦を始めた。
そのときはまだ8キロしか痩せていなかったという。
残り4キロの命を残して、彼の事業は再び軌道に乗った。
今は以前のようには人を使わず、小さくしかし効率よく儲けて、
既に、収入も倒産以前の2倍となり、体重も元に戻り、
前以上に体調がいいという。
「人間、12キロ分の体力を使えば、かなりのことが出来る。
自殺する前に12キロ分エネルギーを使ったら、死のほとんどは避けられるだろう。
人は頭で悩み過ぎるんだね。今は、あの仏様に心から感謝している」
そう語る彼の顔は本当に穏やかそのものだ。
「死ぬ気でやれば」なんて曖昧模糊とした言葉はずっと嫌いだった。
「12キロ痩せなければ死ぬ資格がない」とは仏様はやっぱりすごい。
この悟りの話には、我が生涯で一番感動した。

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老い支度(28)

骨美人
1週間前、同じ不動産業界の知り合いのS氏が肺炎で亡くなった。
私のゴルフ仲間の一人だったが、68の時に転んで骨折、
他界するまでの3年間はそのゴルフとも無縁の生活を送った。
彼の老後は介護とは無縁という点では羨ましい部類の人生だった。
ただ、古希を過ぎるまで生きると、骨折などしなくても痛い病で苦しむようになる。
事務所の近くにペインクリニックがあり、そこに通っている人をよく見かける。
朝から長蛇の列で、こんなに多くの人が痛い老後を送っているのかと胸が痛む。
どちらかと言うと骨の硬い部類に入る私は、若い時から骨に結びつく病が多かった。
ストレートネックで、特に、迷走神経に繋がる頚椎7番が陥没しているので
それが心臓に異常を来たした、頚椎3番も回旋しやすく辛い朝が多かった。
こうした首の骨の異常で、40代から手の痺れや腕の痛みは日常的だった。
だから、還暦を過ぎたら大変なことになるだろうとびくびくしていた。
当然そんなことは避けたいからよく整体に通った。
その甲斐あってか、今は若い頃より調子がよく、肩こり知らずだ。
こうした経験を通して、食事や日常の生活習慣に気を配る人の方が
そうでない人よりは痛くない人生を送れるのだと考えるようになった。
しかし、30代の元教え子にそんな忠告をしても、痛い経験をしていないから
なかなか私の話しに耳を傾けないし、話は聞いても深くは理解はしようとしない。
きっとそんな人は晩年ペインクリニックの列の中の一人になるに違いない。
でも、そんな頑固者も枕選びだけには騙されたつもりで気をつけて欲しい。
首が狂うと、肩こりだけでなく、心臓も含め内臓全体がおかしくなる。
自分の首に合った枕で、痛み知らずの老後を迎えて欲しい。
よい枕の最低条件とは、後頭部を置く部分がくぼんでいること。
若いときから骨美人を目指すべきだ、痛くない老後のために。

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老い支度(27)

判断力の衰え(1)
汗水たらして尽くしてくれる身内
甘い言葉で味方ぶる優しい他人
どちらが真に大切か、そんなことは一目瞭然。
身内が使う言葉には辛さが混じることもある、親身になってしまうから。
他人が使う言葉には心地いいことばかりだよ、嘘八百で埋めるから。
落ち着いて、落ち着いて、その厳しさは優しさなんだよ。
落ち着いて、落ち着いて、その甘言には魂胆があるんだよ。
でも、騙されるとは思わずに、「言葉だけの人」に耳が向く。
その甘いささやきが何時しか家庭に不協和音を招いている。
それが後で取り返しのつかない不幸へと発展したら、長い老後はぼろぼろだ。
特に老後の辛いとき、痛いとき、寂しいとき、人は騙されやすくなる。
お金持ちの一人住まいや二人住まい、小金持ちの一人住まいや二人住まい
特に、特に、こんな人には下心のある怖い人たちがそっと忍び寄る。
そう、甘い言葉の限りを尽くして。
家計を支える同居の息子は朝早く仕事に出る。
「あれには気をつけろ、これはするな」と厳しい言葉を言い残し。
昼間、残された年寄りに知り合いの不動産屋から優しい電話が入る。
「大丈夫? 買い物や何かの手続きなんか私がやってあげるわよ」と。
そして、数ヶ月。
ちょっとした買い物を頼んだりする仲になっている。
その年寄りも気を許し、何時しか年金の引き出しなんかも頼むようになる。
そしてまた数ヶ月。
大切な家の権利書の在り処や実印の場所まで探られてしまう。
そして、いつの間にか、屋敷が他人の手に渡る。
息子が気付いたときにはもうどうにもならない。
こんな悲劇が日本中のあちこちで起きている。
「自分は年寄りなんかじゃない」と思いたい気持ちはよく分かる。
「自分はそんな馬鹿じゃない」と信じたい気持ちはよく分かる。
でも、辛い、痛い、寂しい人たちは、もう正しく物は見れないんだよ。
家族の絆をずたずたにする善意の悪魔も息をひめて狙っている。
遠くに住む親戚や旧友なんかもまた怖い、不動産屋だけじゃない、怖いのは。
電話で使うその甘い言葉が相手の家庭に不和を引き起こしているなんて
その電話をかけた本人さえ気付いていないこともある、それが未必の故意。
君の判断力が減退したなんて私だって思いたくない。
でも、だから、周りは気をつけないといけない。
こうして、「痛い辛いの年寄り」が悪魔の標的になっていることを。
今、今すぐだよ、己の老化に気付き、その更なる先に備えるべきは。
誰もがいつかは恍惚の人になるかも知れないのだから。
運よく上手に消えられることばかりを信じてはいけない。

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老い支度(26)

芸能人の老後対策
学生時代、新橋の赤レンガ通りで喫茶「舞」を経営していた。
それなりの利益を出していたので、赤坂や青山で2号店も探していた。
そんなとき、よく芸能人とバッティングした。
今はなき地名の霞町の交差点で売り物の店が出た。
仲介の不動産屋が言う、
「すぐ決めないと、園まりさんが買ってしまいますよ」
内心買うのが怖かったので、ぼそぼそと答えた。
「それならそれでしょうがないです。十分検討してからでないと買えません」
園さんは私と同じ1944年生まれだった。
青山でも、原宿でもいろいろな芸能人と店舗開業の話をした。
よく通った店には美川憲一さんやピーターさんが出入りしていた。
その付き人やマネージャーとよく話した。
今でも、芸能人は皆「いつかは人気がなくなる」と恐怖心を抱いている。
だから誰もが副業を考え、「店をやりたい」と言う。
そして、その多くは飲食業。
彼らのほとんどが店を出しても5年と続かなかった。
20代に出した店で老後の生活を支えられる芸能人はほとんどいなかった。
多くの場合、彼らの周囲にはその道の専門家がいなかったし、
お金の面で信頼の出来る人に守られているケースは皆無に思われた。
だから、派手な生活をしている彼らは食い物にされることが多い。
20代の主に誠実に仕える40代、50代の側近などいる筈もない。
芸能界は「妬みの世界」なのだから。
1998年にオーストラリアのビル建設計画に絡んで
矢沢永吉さんが35億円の巨額詐欺にあったとされる事件は余りにも有名だ。
腹心の部下は刑に服したが、お金はすべて永ちゃんが返済したという。
並みの芸能人なら一生かかっても返せない莫大な金額だ。
ともかく、本人でなくその取り巻きで苦労した芸能人は数限りない。
島倉千代子さんの事件は有名だし、八代さんや美川さんも被害にあった。
近未来通信の大地真央さん、平成電電の高橋克典さんもある種の被害者だ。
私は思う、芸能人の老後生活コンサルタントに最適なのは私ではないかと。
今更罪を犯してまでのお金を必要としていないし、
不動産活用の経験は半世紀に及ぼうとしているし、
実績は数字としてきちんと残したし、社会的信用も抜群だ。
先日、こんな内容をある芸能関係者に話したら、
「うってつけだ」と大きく頷いていた。
芸能人の老後の生活設計のお手伝いでもしようかな。

霞町交差点には小泉・ブッシュ会談で有名になった「権八」がある。
安くて旨いいい店だが、当時はもちろんこんな店はなかった。
それに、今では霞町交差点とは言わず、西麻布交差点と言う。

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老い支度(25)

どう生きる?
マンションの別名は「集合住宅」、何とも味気ない。
文字通り、一箇所にかたまって住んでいる。
ところが、ここは色々な老後の観察をするにはもってこい場所。
私のいる集合住宅管理組合の理事会で
不思議と気の合う鳥居さんの老後は実に楽しそう。
親は6121号室、お嬢さんが6521号室
スープの冷めない距離に親子が住んでいる幸せなおじいちゃん。
古希を過ぎているというのに車は真っ赤なワーゲン。
「鳥居さん、今日はどちらへ」
「娘とゴルフです」
「お気をつけて」
絵に描いたような理想的な老後の朝の風景。
老後観察をしていて、老後には二つの型があることに気がついた。
目標を決め、切磋琢磨して生きる人とただ楽しく毎日を過ごす人。
例えば、前者には定年後に陶芸を始め、プロ級の腕前になっている人がいる。
その作品が高値で売れる力のあるこの人は目標型人間である。
そして、後者は美味しいものを食べ、旅行に明け暮れたりする人たち。
名前は付けにくいが享楽型人間とでもいうのか、どこにでもいるタイプだ。
散歩だ、スポーツクラブだ、温泉だと健康のために精を出す人も
享楽的とは言えないが、分類上は後者に入れよう。
女性の多くが後者に属するのはお産のせいだといった人がいる。
男も多くは後者で、目標型の人は稀にしかいない。
定年後に釣りやゴルフに夢中になるタイプは享楽型に入ると思うが、
この遊びでプロ級の腕前になり、結構稼いでいる人もいる。
だから、厳密に分類することに大した意味はない。
もちろん、どれがいい老後だなんて決める必要もない。
あくまでも好みの問題だから。
ただ、一つ注意しなければいけないのは
自分と違う型の人の老後を尊重する大らかさが必要だということ。
歳をとると頑固になる場合が多く、自分と違う生き方を
「面白くない」などと言ったりする人が多いので面食らう。
くだんの鳥居さんは美味しいものを食べ歩き、
時間があると建築コンサルティングの仕事をしている。
特に頑固ということはなく、笑顔の美しいおじいちゃんだ。
マンションの管理組合でも、長期修繕委員として積極的に協力してくれる。
彼は享楽型と目標型の両方の要素を併せ持っている。
私の目標はそんな彼の生き方。
また、彼のような笑顔の人になれたら、それこそ望外の喜びだ。

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老い支度(24)

永遠に生きている
母を納棺したときの石打の石
こっそり持ち帰ってデスクの上に置いた。
あれから35年、まだその石はデスクの上に。
見る度に母からの便りが心に届く、これがまさしく石文。
「少し服装が乱れているんじゃないの」という置手紙
東京の下宿を訪ねた母が留守の部屋にあった服を見て書いたらしい。
そんな私への心配を綴った母からの紙文は3番目の引き出しに。
As you like. は母の口癖
大正の時代に、授業を全て英語で受けたという母は
家の中で巧みな英語混じりの日本語を使う眩しい人だった。
親は永遠に子供の心の中に生きている。
そんな親の思い出は子供の心に出来るだけ美しく残してあげたい。
私が「素敵な父だった」と言われるのにはもう少し手遅れか。
いや、今からでも遅くない。
出来ることからひとつ一つ。
墓前で、「ありがとう」と言われる父でありたいから。
重い話が続いたので、ここで一服
http://www.youtube.com/watch?v=NeQ1sJ1u_H8&feature=related

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老い支度(23)

目を覚まそう
私のブログを読んでくれている久しぶりに会った友人が言う
「何故そんなに老い支度について深く考えるんですか」
「辛い死に方をした人をたくさん見てきたからかなー」
だからと言って、私が暗い毎日を送っているなんて思わないで欲しい。
私の毎日は夢と希望に満ち溢れているのだから。
高齢化が進み、介護は今や重大な社会問題だというのに、
自分の老い支度を意識している人が余りにも少ないのに唖然としている。
介護保険制度が導入されて10年がたったが、悲劇は増える一方だ。
タレントの清水由貴子さんが、母親の介護に疲れ自殺した事件は記憶に新しい。
このニュースを聞いたとき、一昨年の宮崎市の事件を思い出した。
71歳の無職の女性が百歳になる認知症の実父を刺殺したあの悲劇だ。
裁判では情状酌量から執行猶予付き判決が言い渡され、何故かほっとした。
「父親を施設に預ければよかったのに」と簡単に言う人もいるが、
子が親を施設に預けるには、余程の勇気が要ることを知るべきだ。
今でも、世間は、「冷たい子供だ」などと冷たい視線を向けるのだから。
確かに、関西弁のジャズ歌手・綾戸智恵さんのように、
80代の母親の介護をしながら仕事をこなしている人もいる。
彼女は「一人で抱え込まないこと」と笑い飛ばし、
介護を楽しんでいるようにさえ見えるが・・・
昨年の暮、ウェスティンホテルの龍天門でお会いした彼女の母親は
実に大人しく、お行儀のいい車椅子のお婆さんだった。
「本当に手のかかる老人とは訳が違う」と私は思った。
同じ介護でも、千差万別、一を見て十を語るのは危険なのだ。
だからと言って、綾戸智恵さんのご苦労が分からない訳ではないが。
ともかく、親が子の幸せな人生を願うなら
自分が元気なときに老い支度をしないといけない。
老後から目を背ける無責任さが
子供の人生をずたずたにしてしまうのだ。
もう、どこの老人ホームに入るか検討しましたか?
もちろん、こんな支度が全て無用な人生になったら
それはそれで、神様に大いに感謝しよう。

南国のゴルフコースは平坦で年寄りには楽でいい。

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老い支度(22)

生き方
塾では生徒に何に主眼を置いて教えるか。
成績アップだけを主眼に教えるのか。
勉強の指導を通して生き方を教えるのか。
私は後者のタイプの指導者を目指した。
だから、深層心理の勉強もしたし、催眠療法のセミナーにも通った。
塾にいないとき、つまり家でも自分から勉強する生徒を育てたかった。
塾を卒業しても、何歳になっても勉強する人間でいて欲しかった。
「勉強しろ」と言われないと勉強しない生徒では力がつかないと思った。
目的の大学に入った途端に遊びほうけるような人間でいて欲しくなかった。
もっと言えば、定年退職してから、「退屈だ」なんて言わない人を作りたかった。
究極、生徒と一番時間を長く共有する親も指導しなければと考えた。
だから、親をよく教室に呼んだし、家庭訪問して家庭環境にも口を挟んだ。
そのせいか、今でも二十歳を過ぎた卒業生が我が家を訪ねてくる。
ITの知識を絶え間なく指導してくれるかつての卒業生がいる。
彼の会社には、私の影響か知らないが、経営哲学がある。
会社の前の掲示板には、堂々と「社会奉仕する企業」と謳っている。
どんなに苦しくても社員のリストラはしないと誓ってもいる。
だから、そこの社員は会社や社長への不満など誰も口にしない。
常に前向きで、何時間話していてもワクワクするし、
結果、そこの社員と話した後の充足感は何ともいえない。
彼らは金を稼ぐ前に、会社人としての生き方を知っている。
親も、教師も、社長も、指導者は常に「生き方」を語らなければいけない。
出来れば哲学とか優れた思想を語れる人でもありたい。
表面的で薄っぺらな人間には充実した老後は望みにくい。
老後は誰でも迎えることはできるが、その老後を充実させるために、
日々その人らしい中身の濃い生き方を磨いていきたい。

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老い支度(21)

  言葉の裏
「他人は黙ってろ」
昨年、この言葉を使って30年来の親友を失った。
彼は、「高木の無二の親友だ」と30年間思い続けていたので、
この言葉を聞いて怒り心頭に発したのだと共通の友人から聞いた。
ある事件で警察との立会いがあった。
警察にその場で喧嘩相手を逮捕して欲しかったのに
彼が偽善者ぶって余計なことを言い出したのでつい口から出てしまった。
私は「お前は関係がないから黙っていろ」と言いたかったのだが・・・
しかし、彼がこうして怒って絶交してくるのも神の恵みと考えるのが私流。
だから私は何にも後悔もしていないし、彼に言い訳じみた説明もしない。
「ただそれだけの間柄だった」ということなのだ。
「人は神のまにまに生きている」という祖父の教えに従っている。
だから、きっとこの結果が後で私にも彼にも大きなプラスとなる筈だ。
中国の諺なら、「人間万事塞翁が馬」というところか。
しかし、こんな行き違いが親族の間で起こるとやっかいだ。
友人とは違うから、簡単に「絶交だ」などとは言っていられない。
第一、 亡くなった母が「皆で力を合わせて」と言い残したのだし。
迷信や占いなどどうでもいいが、母との約束は絶対に破りたくない。
そんなことをしたら、必ず精神的な病から辛い人生を強いられる筈だ。
しかし、親族は色々な意味で接点が多いから、行き違いも増える。
そんな行き違いを避けるのに一番大切なのは、その人の歴史だと思う。
つまり、言葉の意味は、その言葉を使った人で解釈しなくてはならない。
言葉の使い手が50年間やってきたことを見てその意味を判断すれば間違いがない。
きっと、「信用は一生かけて築くもの」とはこんな場面のためにあるのだろう。
今一番の友が、以前「〜でないとお前を殺す」と私に言ったことがある。
私はこの人の長年の歴史に鑑み、その言葉の裏を読んだ。
そして、その後この友を全面的に信用するようになった。
言葉の表面的な意味で掛け替えのない人を失ってはいけない。
老後こそ、言葉の裏を読める人でありたい、残りが少ないのだから。

山のホテルにて

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老い支度(20)

諦め力
30代の頃だったか、幼稚園の運動会に行った。
クラス別対抗徒競走があり、メンバー不足だから出てくれという。
足には自信があったので、アンカーを引き受けた。
百メートルを走るのだが、50メートルくらいから足が思うように前に出ない。
思いもよらないことだったが、息を切らせて何とか完走した。
しかし、ゴール後にバッタリ、酸欠状態で体中に湿疹が。
初めての体験だから、本当に「死ぬのでは・・・」と思った。
40代はウィンドサーフィンに没頭。
グアムやサイパンまで行ってやることもあった。
しかし、台風の海でウェーブライディングを楽しんだ日の夜、
強烈な腰痛に襲われ、「殺せ」というほどの痛みを経験。
年齢がちょうど50歳のときの出来事だった。
持病のせいか、還暦を過ぎるとゴルフ場での上りで息が切れた。
山の斜面に飛んだボールを捜すのがとても億劫になった。
こんな調子だから、ゴルフも七十位までと思っている。
そして、「上手に年をとる」ということは「潔く諦める」ことだと悟った。
若い頃は、諦めることが幸せに繋がるなんて思いもよらなかったが・・・
人生とは数々の諦めを受け入れることの歴史だ。
40代で全力疾走を諦めた、転ぶといけないから。
50代でウィンドサーフィンを諦めた、もうあの腰痛は嫌だから。
60代で夜の生活を諦める、無理は体に悪いから。
70でゴルフを諦める、首によくないから。
74で運転を諦める、人の迷惑になるから。
76で外国旅行を諦める、ウィルスを持ち込むといけないから。 
78でマージャンを諦める、腰によくないから。
80で生きることを諦める、きりがいいから。
森光子や日野原医師のような怪物の話は聞きたくない。
あんな100万人に一人の話しなんぞ私とは無縁だ、
人並みに脳萎縮の始まった私にはあんな素敵な長生きは望めない。
だからガンの定期検診など絶対に受けないと決めている。
頼近美津子さんのように最初のガンでさよならだ。
70過ぎてスキーやゴルフが出来るなんてことも羨ましくない。
人より5年長くスキーやゴルフをやるために必死に鍛錬すること自体が嫌だ。
定年後に世界中を旅することにもそれほどの意義は感じない。
「金と遊びと命はほどほどがいい」
年をとっているのに金と地位にしがみついている人も多い。
漢検協会の前理事長さんのようにはなりたくない。
盧武鉉前大統領(62)のように山で自殺したくない。
楽しい老後を送りたければ、この諦め力を身につけよう。
また、諦め力のある人には美しい笑顔の人が多い。
ひっそりと人の役に立てるだけの老後で十分幸せだ。
今日も一人、近くの公園の草むしりをしてきた。
そう、一つ何かを諦めると次のワクワクする世界が手に入る。

箱根の玉村豊男ライフアートミュージアム
彼の生き方が好きだ。

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老い支度(19)

宗教
新興宗教のチラシがポストに入っている、毎日のように。
時には、千円以上の高価な本が入れられていることがある。
私も人の子、暇なときにはついつい目を通す。
とてもいいことが書いてある、しかし、いい事は誰でも言える。
極端に言えば、小学生でも。
「願いが叶わないのは念じる努力が足りないのだ」とか、
「毎日、毎朝のお祈りを欠かさないように」とか。
時には、「〜祈願」なる行事の日程が書いてある。
私は、神様に願い事をするのが大嫌い。
神様には、今のこの幸せを感謝するか、何かの誓いたてるだけ。
だから、「〜祈願」とそれへのお布施なんて絶対に出来ない。
ある日、興味本位でとある新興宗教の集まりを覗いた。
50〜60代の女性で溢れかえっている。
この不景気の真昼間、こんなに余裕のある人たちがいるのだ。
男性はほとんどいない、だから覗いただけで部屋には入らなかった。
街でそんな宗教の布教をしている人たちに話しかけられた。
「世界中の人たちにこの幸せを分けてあげたい」
「世界を平和にするためにこの教えを広めたい」
「この宗教が明るい日本の実現に必要なのだ」
「祈願すれば必ず願い事は叶う」
信じられないような強い信念で伝道活動をしている。
この善男善女の心の美しさには頭が下がる。
きっとこの活動の結果があの大集会に繋がっているのだ。
聞けば、この宗教が1年で集めるお金は数百億で、おまけに無税だという。
百億を1万円で割ると信者が少なくとも百万人以上はいることになる。
この宗教組織で働いている人が5百人とし、一人当たり5百万円の給料とする。
とすると年間の人件費は25億、水道光熱費などが5億で・・・
とすると、年間の新しい教会建設費が50億以上はありそうだ。
私の頭の中で数字が踊り、教祖の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。
それに比べると、私の菩提寺のなんとみすぼらしいことか。
確か、年間護寺会費は1万円くらいで新興宗教と大差はない。
ただ、この寺は檀家の数が少なすぎる、200人はいないだろう。
お盆や彼岸、お正月のお布施もあるだろうが、経営的には苦しそうだ。
墓地を造成して、檀家をもっと増やさないと・・・・
寂しい老後に宗教がどんな意味をもつのか?
還暦は過ぎたが、老後に宗教が必要なのかどうかが分からない。
ただ、寂しいからといって変な宗教にだけははまりたくはない。
お布施が全くかからない宗教ってないんですか?
布教活動をしなくていい宗教ってないんですか?
規則のない楽しいだけの宗教ってないんですか?
他教を認め喧嘩をしない宗教ってないんですか?

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老い支度 (18)

大物
政治家ほど大変な職業はない。
一生懸命仕事をしても、よく言われることは少なく、
大方、批判中傷の嵐の中で生きることになる。
だからか、若い人で政治家を目指す人がめっきり減った。
しかし、政治家でなくとも、私のように小さな世界で生きていても
長く生きていれば、陰でいろいろな悪口を言われていることが耳に入る。
だから、政治家に限らず、人の言うことなど気にしたら楽しくは生きられない。
事務所のある上大岡のPマンションや長野のリゾートマンションでは
私の不動産屋的知識が少しでも役に立てばと喜んで役を引き受けている。
だから、「10年目の特別積立金50万円を払わなくて済んだのは高木さんのお陰だ」
などという噂が耳に入ると、「人様の役に立てた」と素直に嬉しく思う。
ところが、こんなに無償で頑張っても、僻みで悪口を言いふらす人もいる。
Pマンションの友人が、「高木は気取っているとYさんが悪口を言っている」
そして、「あのYさんだけには気をつけた方がいい」とそっと耳打ちをしてくれた。
車が趣味で、こんな田舎で、ベンツを数台乗り回しているから
「気取っている」、「ぶっている」などと言われても仕方がないが、
しかし、それと管理組合活動などの奉仕とは何の関係もないはずなのに・・・
こんなこともあるから、老後は大人しく目立たないように生きる方が無難だが、
逆に、ちょっと面白可笑しく自分の世界を作っていく今の生き方も捨てがたい。
そんな生き方を選ぶなら、絶対に他人様の言うことなど気にしてはいけない。
「見る人の 心ごころに 任せおき 高嶺に住める 秋の夜の月」だ。
他人の言うことにいちいち反応しては大物にはなれない。
老後に耳が遠くなるのは、神様の贈り物だ。
あれだけ漢字の読み違いを批判されても馬耳東風、
ニコニコと政務を続ける麻生総理はある意味では大物政治家だ。
一流大学を出るよりはあの心臓の方がずっと貴重だと思っている。
あのくらいでないと政治の世界では成功しないのだ、大した人だ。
般若心経に言う、「無眼耳鼻舌身意」
元総理の安部さんのように、世間の噂でノイローゼになるようでは小物だ。
神の摂理に合わせ眼や耳の感度を下げ、老後のストレスを減らそう。
楽しい老後を送るには、「無眼耳鼻舌身意」を目指さなくてはならない。

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老い支度 (17)

幼友達を何と呼ぶ?
子供の頃の遊び友達がなつかしい。
あの健ちゃんや清ちゃんは今どこにいるのだろうか。
親が生きていた頃よく会った大阪のいとこの浩二君、
すっかり音信不通だが、彼は一体何をしているのだろうか。
もちろん私が還暦を過ぎているのだから
健ちゃんや清ちゃん、浩二君は皆お爺さんだろう。
さて、こうして懐かしい人を思い出すときは「ちゃん」か「君」だ。
しかし、直接会ったら「ちゃん呼び」では失礼かと変な心配が頭をよぎる。
よく会う友人のA君がその呼び方で友達との仲が壊れたという。
A君は同郷の一つ年下なので、私は今も彼をAちゃんと呼んでいる。
それで問題ないと思っていたし、今更A社長なんて堅苦しくて言えない。
それでも心配になったので、ある日「ちゃん呼びでいいの?」と聞いた。
もちろんそれでいいと笑いながら言ってくれた。
その時に、彼のくだんの同級の葬儀屋とのトラブルを話してくれたのだ。
当然同級生だからA君は葬儀屋を「〜君」と呼んでいた、ためらいもなく。
ところがある日その葬儀屋が不機嫌になり、その場を立ち去ったという。
何が起きたか分からずにいたら、後日同級生仲間から
彼が「くん呼びを怒っている」という話が伝わってきたという。
要するに今は小さくてもいっぱしの葬儀屋の社長さんだから
同級生であろうと「社長」という呼び方にしろということらしい。
きっと葬儀屋君はA君ほどの学歴がないことを日頃から僻んでいたのだ。
「君呼ばわり」イコール「馬鹿にしている」と勘違いしたに違いない。
A君は私にその葬儀屋は大したものだと褒めてさえいたのに・・・
老後に、こんなことにまで気を遣わなければならないのかと思うと、
気軽に懐かしさだけで友達に会うのもはばかれる。
大人になれば学歴だけでなくいろいろな点で違いが出てくる。
人に会うたびにそんなことを考えてあれこれと気を遣うのは疲れる。
そんなことなら、いっそ旧友なんかに会わない方がよっぽどいい。
やっぱり、日頃から言っているように友達は少数精鋭がいい。
老後に必要な友は考えに考えて、慎重に選ぼう。
でないと、僻みや恨みからとんでもない事件に巻き込まれるかも知れない。
道路
馬堀海岸

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私の般若心経 10

是故空中無色無受 想行識
ぜこくうちゅうむしきむじゅそうぎょうしき

「この故に、空の中には、色もなく、受想行識がない」とは、
「五蘊皆空」や「色即是空 空即是色受想行識亦復如是」
で説いた話にまた念を押しているようだ。

実体がない「空」という世界には
物質的現象もなく、受ける感覚もなく、
想う心もなく、行う意思もなく、よって結果としての知識もない。

だいたい、お経の文言を本当に理解するには
かなりの実体験や神秘体験が必要だという人が多い。
だから、普通は若い人には縁がない代物なのだろう。
この私ですら、どこまで分かってこの文を書いているのか、
本当は怪しいものなのだ。

30歳から50歳までの20年間、
ひどい花粉症で苦労したのが、50過ぎにピタット治った。
「そんな馬鹿な」とよく言われたりもした。
食生活の改善の結果だとか、整水器を使い始めたからだとか
いろいろと自慢したのだが・・・・

(ひのき花粉の激しい飛散期間は2週間だから許せる)

ところが、この4月に入った途端に
「ひのき花粉症」になってしまった。
夜寝て体が温まると急に痰がからんで、咳が出始める。
一晩中出るので睡眠不足になり、昼間はぼーっとしている。
それでなくても高齢者的認知症なのに!

3種類の薬でなんとか生きているが、本当に辛い。
世間では「すぎ花粉症」が終わったと喜んでいるのに。
そこで、何とか幸せになろうと、お経関連の本を読み返してみた。
そうしたら、答えが見つかった。

「薬の飲みすぎは体に悪くはないか?」なんて考えないで、
思う存分薬を飲んで、「桜でも見て来い」と書いてあった。
それが「空」の世界の生き方だと。

もともとなかった体だから、薬の飲みすぎなんて気にするなって。
それにもう十分生きた年齢なのだし。
先の先の物質的現象(=色)ばかり心配するのはよくないらしい。

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私の般若心経 9

不垢不浄
ふくふじょう

学生時代に友人に誘われて出席した新興宗教の集まりでは、
どうすれば幸せになれるのかとかいう色々な説法があった。
ところが、菩提寺の檀家総会ではそんな話は皆無。
勿論、隣人を幸せにするにはどうしたらいいかなんて話もない。

関東大震災で壊れた仏像を直すのにいくらかかるとか
護寺会の会計報告とか、とか、とか・・・
世界平和とか幸福とかいう話が少しはでるのかと思っていたのだが。

キリスト教の教会なら、始める前に牧師の神聖なお話がある。
読経をすればそれでいいのか、その意味の分かる人が何人いるのか?
檀家の総会が浄いかどうかは出席した人の感じ方で、
はっきりとした物差しなどはないから批評するつもりもない。
ただ、これでは新興宗教に走る人が増えるのは致し方ない。
いずれにしても不垢不浄、どちらが浄いかは問題にすまい。

同じ一人の人間が「あの人は汚い」と言われたり
「あんな心の浄(きよ)い人はいない」などと言われたりする。
本当はただの好き嫌いかその人にとっての損得の問題なのに、
いかにも絶対的に正しい判断のつもりで話している人が実に多い。
私も会社を売ったとき、随分と悪く言われたようだ・・・
それにつけても、「不垢不浄」の概念が分かる人が増えて欲しい。

政治家の話などほぼ100%そんな感じで、謙虚さがまるでない。
多くの場面で「汚れているとか浄(きよ)いとか」そのこと自体が難しい。
小泉元総理への評価も割れているが、いい面を隠そうとする論評が目立つ。
要するに、これらもまた「不垢不浄」の精神で対処した方がいいのだが。

不増不減
ふぞうふげん

「夢」と「欲望」の違いは何なのか。
思うに、自己を振り回し不幸を招きがちなのが「欲」
自己を奮い立たせ、元気を与えるのが「夢」か。

「夢」では生ぬるいから「目標」を掲げよ。
そういった若いプロ野球選手がいる。
強い信念で勝ちを意識しないといけないスポーツ選手。
なるほど、「夢」ではなまぬるいのも頷ける。

しかし、50年以上生きて、安定した幸せを考えると
激しい「増減」の世界では疲れて病気になるのが関の山。
何時までも100メートル走のダッシュでは心臓がもたない
「将来実現したいこと」と「今への感謝」を併せ持つ技を身につけたい。

若さは必ず減っていくもの、それを減っていくと感じさせないのが
「今への感謝」で、この感謝の心が「不減」を可能にする。
私は、若さが減っていく還暦過ぎの今に、
なんだか昔より幸せな今を実感している。

また、還暦過ぎに汚職や脱税で逮捕されるような最悪の老後は避けたい。
「不増」を願う必要はないが、「増」ばかりの強欲では老後が思いやられる。
「まあまあ」の気持ちに感謝を加えるのが「不増」の世界なのだと思う。

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私の般若心経 8

舎利子 是諸法空相
(しゃりし、ぜしょほうくそう)

お彼岸の中日、生まれて始めて、
菩提寺(下の写真)の檀家総会に出席してみた。
普通の老人たちがお上人に合わせて読経をしている、
それもまるでお上人のように経本も見ずに。
これには本当に驚いた。

多くの人が年をとるとお経に関心を持つようになる。
長い人生で、道理に適わないことをいやと言うほど経験し
その心を癒すためにお経が必要になってくるのだろうか。

東大で機械工学を学んだ兄は、40代で病に侵され、
私の知らない何か宗教的なものに頼るようになった。
恵まれた生涯を送っていた兄の闘病生活を見て思った、
最後まで順風に人生を送ることのできる人は本当に少ないのだと。

だから、格差だとか貧富の差だとか騒ぐこと自体が小さすぎる。
もっともっと大きな矛盾が人生にはあるのだから。
これらの矛盾を含め、般若心経では「是諸法」という。

「舎利子よ、これら(是)もろもろの(諸)の物質的現象(法)は空なのだ」
仏教でいう「是諸法」とはこれら諸々の現象のことで、
生死も含め全てが大したことはないのだと言っている。
この後述べられる「生まれる」「汚れる」なども「是諸法」に含まれる。

不生不滅(ふしょうふめつ)

「生まれることもなく滅することもない」
つまり、「生まれる」という現象について
「生まれることもないのだから滅することもない」という。

生死がないということではなく
「生死に引きずりまわされない生き方」を説いている。
「生きたい、生きたい」ともがかず大往生した祖父。
「もともとなかった命、精一杯有意義に使おう」と
晩年は、あちこちで説法をしていた祖父は
「不生不滅」を完全に会得していたのだろう。

実業家だったが、禅宗の僧籍を持ち、お経に詳しく、
この「不生不滅」を理解しやすくする禅語を教えてくれた。
それが「山中に暦日(れきじつ)なし」。
でも、10歳の私にはよく分からなかった。

「大自然には日付の必要がないように
空の世界には初日や千秋楽はない」
今なら、何となく理解できるのだが・・・
だから、長生きなんてことに大した意味はないと思っている。
大切なのは「どう生きるか」なのだ。

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私の般若心経 7

受想行識亦復如是
(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)

「色即是空、空即是色」は般若心経の中でも特に知られている。
この「色」の後に、「受想行識」と続けて、「五蘊もそうだよ・・・」と。
「受想行識も亦(また)復(また)是(これ)の如し」と漢語的に読む。

即是空、空即是色」だけでなく、
他の「受想行識」の四つも加えて、
五蘊即是空、空即是五蘊」だと念を押したのだ。

「受」は心で受け止めること、「想」は受け止めた後の想い、
想いが行動になると「行」つまり意思活動、
そして最後にその経験が知識となって身につく「識」

要約すると、「感じ⇒想い⇒意志行動⇒経験知識」にも
「色」同様に実態がなく、それに価値を生じるのは
因縁を絡めるその人次第だと説いている。

長かった結婚生活、愛する人が他界しても
もしその想いが輝きを失わなかったとしたら
もしその人の墓前でお参りする心が美しかったら
この人は般若心経を会得してしるということなのだ。

花のないつば木の枝を「空」なるものとして
ゴミ箱に捨てる人もいれば
枝を花器に挿し、花を脇に置いて
「落花の風情」でお茶を服する人もいる。

そのおおらかな心情こそが「人生のお点前(てまえ)」
そんな「般若心経的な人」になれたらいいなと・・・。
「摩訶般若波羅蜜多心経」

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私の般若心経 6

色即是空 空即是色
しきそくぜくう、くうそくぜしき

この言葉を、兄の結婚式で、来賓の故迫水久常議員が二人に贈った。
大蔵官僚から国会議員になった「知性の迫水」さんらしいお話。
彼はこの8文字を「因縁」に結び付けて次のように語った。

ある和尚様が小僧に千利休の孫の宗旦へ椿を届けさせた。
その椿の名が「妙蓮寺椿」、二人の新居の地名も横浜の妙蓮寺。
そこまで考えて、この8文字の本質を説いた。

小僧は持っていく途中で椿の花を落としてしまった。
ところが、宗旦は何も言わず、茶室に小僧を招き入れ、
花のない妙蓮寺椿を花器に挿し、落ちた花をその脇に置いた。

咲いた花はいつかは散るもの、それが「因(直接的条件)」
それを小僧が運ぶ途中で落としたのは「縁(間接的条件)、
その因縁を生かし結果を素晴らしいものとして受け取るのが私。
このように「因果」を説いて、小僧の労をねぎらったというのだ。

花のない椿の枝も落ちた花も何の値打ちもない「空なるもの」
しかし、和尚や小僧の気持ちとそれを受け取った宗旦との絡みで、
つまりは様々な因縁の中で、「空なるものを空でないものにした」

「結婚も二人の、家族の、友人の、上司の・・・
様々な人の因と縁で成り立っている。
だから、それらを生かして、空でない素晴らしい世界を作りなさい」と。

「色即是空」とは
文字通り、「形ある色(しき)は即(すなわ)ち是(これ)空(くう)なり」。
「空即是色」とは
文字通り、「空とは即ち是(これ)色なり」。

「色即是空」だけでは、本来の般心経の意味は理解できない。
この前段と後段は「因縁」で結んで始めて一つの意味になる。
それが迫水議員の「妙蓮寺椿の逸話」に盛り込まれていたのだ。

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私の般若心経 5

舎利子 色不異空 空不異色
(しゃりし、しきふいくう、くうふいしき)

観音さまが「舎利子よ」と呼びかけた。
観音さまはお釈迦さまの心の象徴であって実在ではない。
で、舎利子はバラモンの家に生まれた実在の人物。
だから、観音さまが実在の人間に呼びかけているわけ。
つまり、お釈迦さまに代わって観音さまが
舎利子に真理を説こうと話しかけている場面。

先ず、観音さまは「色不異空」と説いた。
「不異空」は漢語的に意味をとって
空と異(こと)ならず=空と同じだ=空だ。
つまり、「色(しき)は空(くう)だ」と切り込んだ。

「形あるものは肉体も含め全て空なのだ」と。
ところがすぐ、「空不異色」と正反対の言葉が続く。
「空は色だ」と言うから、訳が分からなくなる。

去年の春、種類の違う5株をよせ植えにした「せっこく」(写真)
買ってきてすぐに植えたのだが、あっというまに散ってしまった。
でも、そのかわいらしい花の姿はしっかりと記憶にとどめた。

そう、「花びらは散ったが、花は私の記憶の中に咲き続けた」
そして1年が経ち、4日前から、一つまたひとつと咲き始めた。
記憶通りに咲いた花、感動して思わずキスしてしまった。
「色不異空、空不異色」を身を以って感じた1年だった。

目の前に何もないと思っていても本当は「空」気がある。
つまり、大切な「空」気は目には見えないが、絶対にある。
この「ないようである、あるようでない」という「気」の概念。
これもまた、「色不異空 空不異色」の世界である。

食事に気をつけ、体(=色)を大切にしたが、
「生きよう、生きよう」とはもがかなかった祖父。
命にはこだわらないが、体は大切にする。
「神のまにまに、空気のように生きたい」と。
空気はどこに当ってもすっとすり抜けるが
いざとなれば家をも飛ばす力がある。
そんな空気を意識していたのだろうか。

「要るだけは、風が持ち来る、落ち葉かな」
こう言って、落ち葉をかき集めては五右衛門風呂を沸かしていた。
その90歳の死に顔は穏やかで幸せそうだった。

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私の般若心経 4

照見五蘊皆空
(しょうけんごうんかいくうどう)

「照見」は照らして見るで、文字通りの意味。
もちろん、「五蘊を照らして見る」ということ。
祖父の家の玄関には「照顧脚下」という札が置かれていた。
この札を見ると思い出すのが「照見五蘊」

「靴を揃えて脱げ、札が読めないのか」と祖父によく注意された。
その後、多くの禅寺にこの札が置いてあることに気付いた。
最近では、分かりやすく「脚下照顧」という人が多い。

だから、靴を脱ぐたびに足元を照らして己を顧みる。
家に帰り、脱いだ靴をきちんと揃えながら、
「今日も一日健やかに頑張れました、ありがとう」と
神様(仏さま)にお礼を言う。
「こんな家があることを感謝します」というときもある。
「こうして仕事ができることを感謝します」と事務所に入る。
靴を脱ぐたびに照顧し、ついでに照見を思い出す。

「照見五蘊皆空」とは
「五蘊を照らして見れば、皆空なり」ということ。
この五蘊とは
すぐ後に出てくる「色・受・想・行・識(しきじゅうそうぎょうしき)」
色(しき)とは形あるもの全てを指す
心と肉体なら肉体は「色」そのものである。

後の四つは心の活動。
「受」は心で受け止める、「想」は受け止めた後の想いつまり概念
想いが行動になると「行」つまり意思活動
そして最後にその経験が知識となって身につく「識」

彼女に出会い、心で感じ、想い、行動し、何かを経験して知識が残る。
しかし、どんなに楽しい思い出も、永遠ではない。
これら四蘊は大切な人生の一こまだが、最後には「空」なのだ。
だから、そういうものだと思っていれば、恐れもなく恋に没頭できる。

「照らして見れば、五蘊は皆空(みなくう)なり」
これが「照見五蘊皆空」の世界。
もっと分かりにくく言うと、
「花びらは散っても、花は散らない」
「好きな人と別れても、恋は終わらない」
「人は死んでも、魂は死なない」
「空」は永遠で、充実した世界なのだ。

度一切苦厄
(どいっさいくーやく)

「あー、難しい、全然分からない」って?
当たり前だ、難しいから僧侶たちは修行しているのだ。
修行して、「五蘊は皆空なり」と悟れば、
目出度く、「度一切苦厄」ということになる。

つまり、一切の苦厄から救われる(=度する)という訳。
もちろん、一切の苦しみがなくなるわけではない。
「五蘊皆空」の世界が分かるようになれば
苦しみを苦しみと感じない境地に達するということ。
そうなれば、鏡で老けた自分の顔を見て、
「よくやってきた」と微笑むことができる。

さあ、ここまでの内容をもう一度振り返ってみよう。
「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時」
「照見五蘊皆空、度一切苦厄」
と二つに区切って訳してみる。

「観音さま(仏さま)は
深遠なる知恵の完成を実習している時に」
「五蘊すなわち色・受・想・行・識が皆空だと見抜き
一切の苦しみから救われた」

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私の般若心経 3

観自在菩薩
(かんじざいぼさつ)

「観自在菩薩」とは
「観世音菩薩」つまり「観音さま」のこと。
過去・現在・未来の三世にそれぞれ千、
合わせて三千もある仏さま、
観音さまはその中の一つ。

法事などで、やけにはっきりと聞き取れるのが
「三世三千の諸仏」という部分だろう。
その諸仏の中でも、阿弥陀さま、お地蔵さま、
観音さまなどは町でお会いする親しみのある仏さま。

例えば観音さまなら
赤ちゃんの泣き方で何を欲しがっているのかが分かる。
これがまさしく「音を見る」で母親の姿そのもの。
だから、観音さまは母親の姿に似ているのだ。
仏さまも「音を観て」、この世の中を判じているのだろう。
相手の本当の気持ちをその声色から見抜けるようになりたい。
そう、甘言(甘い言葉)は真実を語らないことが多いから。

行深般若波羅蜜多時
(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)

「深般若」とは
摩訶般若と似た意味で使われて
深遠なる知恵という意味になる。

「行深般若波羅蜜多時」とは
「行」の後に返り点を入れて漢語的に意味を取ると
「深遠なる知恵の波羅蜜多(完成)を目指して行う時」の意。

「波羅蜜多を行う」とは、
六波羅蜜を実習・実行すること。
六波羅蜜とは人としての完成を目指すための6項目。
布施、持戒、忍耐、精進、禅定(座禅)、知恵の6つで
布施とは社会への返礼、持戒とは己を戒めること、精進は励むこと。

一銭にもならない管理組合の仕事も布施のつもり。
でも、社会への返礼の前に、身近な人への返礼もしておきたい。
そう、家族への返礼も旅立つ前に忘れずに。
これも立派なお布施なのだから。

こんなブログを書くのは持戒の念があるからか。
きれい事を書きながら自分を戒めているのかも。
書いていることと正反対の若気の至りも数多くあったから。
私にとっては、こうしてブログを書くことで
「波羅蜜多を行っている」つもりなのだ。

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私の般若心経 2

摩訶般若波羅蜜多心経
(まかはんにゃはらみったしんぎょう)

「摩訶」とは
摩訶不思議の摩訶で「超越」の意。
摩訶不思議とは超不思議ということ。
ちょっと今風な言い方で覚えやすい。

「般若」とは
般若心経の般若で「知恵」のこと。
般若心経とは知恵を説いた心のお経。
「般若の面」とは中途半端な知恵しかない人の醜い面。
般若は「摩訶般若」でないといけないということ。
日本の国のことを考えず、票のことばかり考えている
般若の面をした国会議員のなんと多いことか。

鏡に映し出される己の顔が
人から見て、般若の面でないことを祈るばかりだ。
だから、毎朝鏡を見ては、笑顔の練習をしている。
ナルシストだなんて誤解しないで欲しい。

「波羅蜜多」とは
梵語のパーラミターへの当て字。
パーラミターのもともとの意味は「完成」。

まとめると、「超越した知恵の完成を説いた心のお経」
つまりは、「悟りに近づくためのお経をありがとう」と
うやうやしく唱え、それから本題に入っていく。

最近は下のサイト↓に合わせて朝の読経をする。
http://www.geocities.jp/sizen_junnosuke/singyo.html

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私の般若心経 1

「男は振られる生き物;二兎しか追わぬ者一兎も得ず;
考えるよりまず行動を;巧言令色ときめく愛;
近づきながらテイスティング;容易に許す女は軽いのか;
結ばれる直前に考えること;挿入する性とされる性;
男が萎える派手派手下着;セックスは二人の共同作業;
うまくできなかったときには・・・」

渡辺淳一の新刊、「欲情の作法」の目次だ。
買うのも悔しいので立ち読み開始。
30分もあれば読みきれる馬鹿げた内容。
買わなくてよかったとほっとする。

要するに、嘘をちりばめた渡辺の自慢話集。
彼は年を重ねて、益々最低の人間になってきたが、
こんな内容の本が、彼の名前だと飛ぶように売れる。
その表現力を羨む反面、悲しくもなる。
この話で道を間違える人が増えると思うと・・・

多くの人を不幸にして、罰の当たった人は多い。
よく取り上げる大島渚がその筆頭だ。
彼の闘病姿をテレビで見ると、神の存在を確信する。
鳩山総務大臣にもそんな悪い匂いがし始めた。

人間、還暦を過ぎたらできる限り正直でありたい。
あまりの強欲は捨てたいし、負けることも覚えたい。
渡辺、大島、鳩山のような老後は悲しい。

祖父の読経と祖母の写経の姿を見て育った。
なので、般若心経には親しみを感じている。
高校時代には、友人が毎日読経をしていた。
そんな彼は今頃どうしているのだろうか。

般若心経に自分の人生を照らし合わせて
自分なりの「般若心経読解」を書いて見たくなった。
死ぬ前にやる価値のある作業の一つに思えるから。

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斑尾悠遊

16:情報発信力

斑尾に近い白馬スキー場、シニアスキー客が激増し、
円高による外人観光客の減少を十分に補った。
斑尾と比べるとその変わり身の早さは数段上をいく。

斑尾は3年前、子供のリフト利用を無料にして
来場客数の増加では全国的にも上位にランクされた。
しかし、その成功の後、ヒットが出ていない。

今、リゾート繁栄のキーワードベスト3は
1.外人観光客   Cf.ニセコ、信州地獄谷温泉、
2.アジア系観光客 Cf.ハウステンボス、富士箱根
3.シニア観光客  Cf.湯布院、石垣島、白馬
浮気性の若者や減少し続ける子供を当てにしてはいない。

ニセコはここで商売を始めたオーストラリア人が
自ら本国に情報を発信して今日のブームを作った。
スキーだけでなくラフティングなどにも力を入れ
通年型のリゾート地に変身して、様相が一変した。

ハウステンボスは更生法適用後に買い取った新会社が
中国、特に上海と香港に情報を発信して集客に成功。
白馬は地元の人と役所が素早い対応をして
老人センターやその方面に強烈な宣伝をした。
小布施の発展が緻密な街づくりにあったように
湯布院は独特の街づくりに力を入れて成功した。

↑和食レストラン「ふるさと」から見る花火(毎週土曜日)

さて、我らが愛する斑尾はどうだろうか。
トレッキングブーム?に便乗して信越トレイルに力を入れている。
しかし、ちょっと地味な気がするし、夢がない。

もっと派手なブームを起こすにはスノーモービルがいい。
行き過ぎた環境〜ブームで反対者が多いのは分かるが
環境を大切にしているうちに村そのものが消えてしまう。
黙っていても昔開発された多くのリゾートが森に戻りつつある。
あの仙境都市がいい例だ、環境なんて騒がなくても自然は増えている。

「スノーモービルランドサッポロ」をご存知だろうか。
スノーモービルに乗って大自然に足を踏み入れたら
その幻想的な世界に誰もがはまってしまう。

取り組みが難しいからこそ、成功したらその果実は大きい。
斑尾を忍野村にしないように頑張りましょうよ。
斑尾の関係者の皆さん、やりましょうよ。

斑尾高原ホテル育ちの最後の切り札?社長さん、
頼みますよ、あの20年前の幻想的な斑尾を取り戻して!

カテゴリー: 斑尾のゆめ | コメントする

斑尾悠遊

15:リゾートマンションの管理

5百万円以下でしか売れないリゾートマンション。
これは不動産と考えるべきか、動産と考えるべきか。
勿論法律的には立派な不動産だが・・・

ましてや、斑尾のホテルマンションは築30年(下の写真)
人気があるからまだ数百万で売買されているが、
人気のない他のリゾートのマンションなんて
売りたくても買い手がつかないのが現実だ。

知人が30年前に400万で購入した伊豆の土地。
100坪あって水道もきているが、100万でも売れない。
こうなると人に「不動産を持っている」なんて言えない。

斑尾の我らがホテルマンションを管理しているのは「アビラ」
斑尾高原ホテルを所有する上場会社が作った子会社だ。
毎年立派に総会を開き、管理報告書も送ってくる。
リゾートマンション管理会社としてはまあ良心的な方だ。
もちろん、長期修繕計画も作られ、これから30年は大丈夫か。

リゾートマンションでは総会なんて開かれないことも多い。
だから、管理がいいこのマンションに人気が集まるのだ。
とは言え、総会の出席者は100人中の5人前後。
残りの人は置きっぱなしの車くらいにしか考えていないのか。
上大岡のPマンションでも15人位だからしょうがない数字なのか。

この5人の熱意が通じてか、「アビラ」も誠意で対応している。
こんな辺鄙なリゾートのマンションの不動産価値を維持するのは
オーナーの熱意とそれに応える管理会社の誠意しかない。
この二つがかみ合わなければ、耐用年数は半分以下になり
不動産としての魅力も消え、動産的価値になってしまう。
それがリゾートマンションの宿命だ。

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斑尾悠遊

14:斑尾山の攻め方

斑尾はスキーで有名なリゾート。
なのに、私はスキーがあまり上手くない。
だから、斑尾でのスキーレポートが書けない。
そこで、ホテルマンション仲間の吉田先生に電話。
「斑尾について書いた先生の文章を使わせてください」
勿論、二つ返事で快諾してくれた。
よって、以下はプロスキーヤー吉田強先生の文である。

斑尾は正面の二線と六線から攻めて※1、
それから裏の十二線側※2に回るのが常道です。
中級以上のレベルなら、ここで十分楽しめます。
朝一の狙いも、ここからです。
完璧にならされている斜面の心地よさは、
何事にもかえられません。

上級者にとって、斑尾での最大の喜びは、新雪が降った後の深雪です。
正面を一番上から、そして裏の栃の木※3の急斜面の滑降です。
深雪こそが、スキー滑降の最高の醍醐味なのです。
初心者ゲレンデは、一番左の斜面が最適。

ちなみにヨーロッパの上級スキーヤの滑り方は、
先ず一番にケーブルやゴンドラで、てっぺんまで上り、
そこから一気に滑り降りてくるのです。
それで足腰が鍛えられているのです。その強さは半端じゃないのです。

私がフランススキー留学で一番感心したのも、その点でした。
日本的な下での足慣らしなどは、全くやりません。
スキー上達最大の秘訣、それは長いコースを止まらずに滑ることです。
是非、試してください。
 
 
補足
※1二線:第2クワッド 六線:スーパークワッド
※2十二線側:スーパークワッドから、または第2クワッドから
 第3Aリフトに乗り継いで右方面にトラバースした先のゲレンデ。
 今は、クリスタルコースと呼ばれています。
 田中康夫の何となくクリスタルが流行った頃に命名されたらしい。
※3栃の木:第14リフトの左側のコース。大きな栃の木がシンボル。

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斑尾悠遊

希望湖から斑尾山を望む!
斑尾をマイ・リゾートとして早30年。
世界に誇る観光地・信越の「へそ」が斑尾。
春夏秋冬、夢中で遊んだ信越の思い出が
心の中で、日増しにその輝きを増していく。

13:遠回り

斑尾での楽しい思い出を胸に、帰路につく。
朝早く起きたら、北陸自動車道ルートだ。
山を西に下って、妙高高原ICから高速に乗る。
40分もしないうちに上越JCT。
これこそ兄が斑尾を選んだ最大の動機。

上越ICで一般道に出る。
あまり見ることのない日本海の景色。
あの柏崎原子力発電所近くで地震の爪あとを目にする。
時には、一気に長岡まで行って街をぶらぶら。
地方都市ってどこか寂しい。


暇があれば、上越JCTを左に曲がって京都方面へ。
昼前には金沢の兼六園を散策している。
疲れたら、近くの「小松弥助」で創作寿司を。
小ぶりのシャリが口の中でやんわりとほぐれる。
旨いこと筆舌に尽くし難し。

2時過ぎには永平寺。
厳かな参道の風情が鎌倉とは違う。
4時前に金沢東ICに入り、今日の宿へ。
夏なら暗くなる前に八瀬離宮(写真)に着く。
京都での常宿で大原三千院もすぐの所だ。

これこそが斑尾基点のリゾートライフ。
非日常の連続に旅の醍醐味を享受する。
広い、実に広い。

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斑尾悠遊

12:斑尾への道

兄の斑尾への道は軽井沢から志賀高原へ抜ける雲海コースだったが、
私は山中湖畔から松本を経る中央高速ルートを選ぶことが多かった。
20代に富士のリゾート開発に携わった思い出がそうさせていたのだろう。

7時台に家を出ると山中湖でちょうど10時のお茶になる。
山中湖のホテル・マウント富士でお茶をして、少し庭を散策する(写真)
平野地区の丘を眺めては調査と称してオフロードをジープで走り回り、
大した仕事もしないで給料を貰っていた頃の自分を振り返る。

このルートでは横浜から斑尾までずっと美しい景色が続くのだが、
特に富士山を見ながら過ごすここでの時間は私を一番癒してくれた。
ここで1時間くらい休んでから、河口湖、御坂峠を抜け、
一宮御坂から中央高速に入り、諏訪湖SAで昼食をとる。
時間があれば、諏訪インターから10分の「ドゥアルブル」へ寄る。
SAと同じように湖畔にあるので、諏訪湖を見ながらの優雅な時が流れる。

普段なら、2時頃諏訪湖を後にして、後は一気に斑尾まで走る。
しかし、元気が余っているような日は、ビーナスラインを通って
蓼科、女神湖(写真)を見ながら標高2千メートルの大河原峠を経て
上田に抜け、夜10時頃斑尾に入る超遠回りコースを走ったりする。


夏は特に、諏訪湖や女神湖の花火の日に
合わせてルートを決める。
まあ、どのコースを通っても、
斑尾まで走っていく道中は
日本有数の観光地を走りまくるので、
30年経っても飽きがこないし
まだ征服していない信州があちこちにある。

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斑尾悠遊

11:小布施

斑尾滞在中、一度は小布施を訪ねることが多い。
信越きっての豪農商高井家に生まれた鴻山、
その彼の記念館や彼の招いた北斎の記念館で
当時の地方文化や経済活動に思いを馳せる。

彼は15から31まで大阪や江戸に遊学し、高い見識を身につけ
帰郷後、83歳の老画家北斎にアトリエ「碧い軒」を建てたり
明治維新の改革に私財を投げ打って協力したりしたという。
学生時代の勉強には出てこなかった一地方の歴史だが
何となく身近に感じられることも多く、引き込まれる。

もちろん、小布施の名物「栗かのこ」を忘れることはない。
10時の楽しいお茶の後の食事は必ず「蔵部」(下の写真)で頂く。
食後は栗の道の散策し、あちこちの店に寄って楽しいひと時を過ごす。

この町は、街づくりに知恵を絞っているからか、
地方都市には珍しいほどの活気がみなぎっている。
そして現在も、東京理科大学の協力のもとに
歴史的建築に限らず路地や水路なども含めて、町全体を実測し
現状を正確に把握し、そのデータをもとに更なる発展計画を立てている。

全くの余談だが、小布施に来るたびに思い出すのは
あの富士の裾野の無秩序に開発をされてしまった「忍野八海」。
あれだけの観光資源があるのに、無計画に自然を破壊してしまった。
関係地主の欲の突っ張りあいがあったのかどうかは知らないが、
その景観は雲泥の差で、忍野村の今後が思いやられる。

「大好きな富士の裾野をこれ以上無秩序に破壊しないで欲しい」と
35年間、週一ペースで通っている一軒茶屋のマスターに話したら、
彼も同じことを考えていたというのを聞いて本当に驚いた。

↑小布施堂

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斑尾悠遊

10:斑尾スキー  

斑尾でのスキーはほとんどが生徒と一緒だったような気がする。
「合格祝いに連れてってください」と言われることが多かった。
私の若いときは、中学・高校時代にスキーなどやっている人は
ほとんどいないか、たまにいてもかなり下手だった。

ところが、教え子は皆上手で、下手な私はよく恥をかいた。
私はコブが大の苦手なのだが、生徒たちは大好きで
わざとコブの多い斜面に連れて行っては私を困らせた。

↑スキー場のレストラン「チロル」

斑尾高原ホテルにはスキー合宿にくる高校生も多い。
横浜の桐蔭高校の生徒はもう何十年もここで合宿をしている。
ところが、彼らはまた更にスキーが上手で、見ていても気持ちよかった。
本当に今の若者は物心両面で恵まれているなとその度に思ったものだ。

斑尾高原ホテル側とタングラム側のゲレンデは行き来ができるので
両方の面積を合わせたらかなりの広さで、一日滑っても飽きることはない。
広いし、雪は概ねパウダースノーだしで、生徒たちは皆本当に喜んだ。


スキー場で生徒たちは皆よく食べた。
写真のチロルやハイジが彼らのたまり場。
滑っては食べ、食べては滑っているので
生徒たちだけが益々上手になった。

あの頃の生徒たちはみんな今頃何をしているのだろうか。
彼らも皆30歳を過ぎてはいるだろうから
自分たちの子供を斑尾へ連れて行っているのだろうか。
たまには会ってみたいものだ。

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斑尾悠遊

希望湖から斑尾山を望む!
斑尾をマイ・リゾートとして早30年。
世界に誇る観光地・信越の「へそ」が斑尾。
春夏秋冬、夢中で遊んだ信越の思い出が
心の中で、日増しにその輝きを増していく。

9.斑尾グルメ

斑尾高原ホテルの食事には大満足している。
ここでの朝食は「ピエモンテ」のバイキング。
種類は豊富で、何日滞在しても体が喜ぶ。
ディナーは和食の「ふるさと」↓が好きだ。

長逗留でホテルの食事に飽きると
歩いて5分の「ルドルフ」へ行く。
ワインと石窯ピザの組み合わせが天下一品、
加えて、大根サラダとのトリオが私のお気に入り。
大勢で行くと、評判のシーフードトマトも注文する。
歩いて3分の寺瀬ペンションの餃子も捨てがたい。

山を下りれば、お気に入りが更にいくつかある。
一番は何といっても、お馴染みの「うなぎの本多」
その客の多さには行く度に驚かされる。
「一体この田舎のどこからこんなに人が来るのだろう」と。

ゴルフの帰りに、よく寄るのが
「土曜日はイタリアン」という名のレストラン。
あのイチローがわざわざ寄ったことで名が広まった。
地元の若者のデートスポットとしても有名だ。

そば好きの友人を連れて行くのが「ミールハウス・ピクニック」↓
蕎麦屋だというのに、建物はカナディアン風だから面くらう。
店で石臼挽きするつなぎなしの十割そばは喉越しが超なめらか。
不思議な組み合わせなのが、添加物なしのこの店の自家製ハム。
誰を連れて行っても「面白い、旨い、また来たい」という優れもの。

斑尾高原には他にも旨い店は何軒かある。
気取らないで旨いという店が多くあるのがいい。
ましてや、野尻湖だ、妙高だと範囲を広げたら
本当に楽しい食の毎日が過ごせる理想のリゾートだ。

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斑尾悠遊

中央が斑尾高原ホテル。
左端がホテルマンション1号棟
左方向に順に6号棟まである。

右下の写真はタングラム&ゴルフ場⇒↓
↓左下の写真はタングラムのスキー場

8.リゾート土地相場
斑尾で水道がひけている土地の値段は坪1万円台。
山では、水道が引けているかが評価のポイントだ。
だから、原野で水道がないと坪千円から数千円。
山を下りた麓の村でも、宅地相場は坪2〜3万円位だ。

知人は村はずれの千坪を2千万で買い、仕事に成功した。
車は用途別に高級車5台を屋根付きの車庫に入れ、
冬はスキー、夏はカヌー、週末は東京と贅沢三昧。

難しいのは、建物が建っている場合の土地値評価。
ほとんどの人が建てたときの建築費を忘れられず
絶対に買う気にもならない値段で売りに出している。
だから、斑尾に限らず多くのリゾート地には
売れ残って、廃墟のように朽ち果てていく建物が多い。

斑尾ですごく目を引くのは、傾いた大型ペンション。
バブル期に億単位の金をかけたであろう大型のペンションが
7千万円とか8千万円で売りに出ていることが多い。
かけた値段など買い手には関係ないから、当然売れない。
結果、あちこちで、廃墟のように傾いた建物が目に付く。

だいたい失敗したペンションの建物など無価値だ。
だから300坪の土地付きペンションでよくて1千万弱だ。
それをその10倍近くで売ろうとするから廃墟になる。

私のように何度も失敗していると、諦めが早い。
きっぱり諦めて、早々に次の事業に取り組む。
だから、億単位の失敗から2年で立ち直った。

今度、失敗したペンションオーナーを一堂に集めて
「諦めて二束三文で売ってしまえ」とレクチャーしたいくらいだ。
そうして新しい建物が建たないと、リゾート地に明るさが戻らない。

「早く、傾いたペンションを取り壊してください」

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斑尾悠遊

中央が斑尾高原ホテル。
左端に写っているのがホテルマンション1号棟
左方向に順に6号棟まである。

右下の写真は中庭からみたホテルマンション⇒↓

7.ホテルマンション相場

中古のホテルマンションはそれほど高嶺の花ではない。
下の斑尾・妙高のサイトを見れば、それは一目瞭然。
景色、日照、階数、ホテルとの位置関係にもよるが
だいたい坪35万円±5万円の範囲で、車1台分位だ。
http://sumai.nikkei.co.jp/resort/rchukai/searchlist.aspx?AreaCD=12&SearchType=Area

だから8坪程度の1Kなら250万円から350万円。
2Kの12坪くらいでも400万円から600万で手に入る。
逆に、馬鹿にならないのは月間維持費と修繕積立金。
冬季は暖房・給湯代が入るので2万から4万になる。
年間維持費にすると、20万から50万くらい。
会員制リゾート会員権の年間経費の3〜4倍はかかる。

もちろんこれは中古の相場で、新築はもっとずっと高い。
新築だと坪100万はするので、1Kでも1千万弱はする。
でもこのご時勢、伊豆を除いて新築物件はほとんどない。
ましてや、ホテルマンションには新築物件が見当たらない。

不思議なことに、斑尾高原ホテルのホテルマンションは
ほとんど外部には売り物が出ないし、相場も少々高めだ。
上のサイトでも分かるとおり、売り物はタングラムばかりだ。

その理由をスキーの好きな人に聞くと、
「高原ホテルの方がゲレンデが桁違いにいいからだ」という。
スキーは上手でないので、その真偽のほどはよく分からない。
ただ、20年位前は、皇太子様がここによくスキーに来たらしい。

買う気なら、是非中古のホテルマンションを斑尾に持つといい。
軽井沢や蓼科は近すぎて、北信越や近畿が日帰り圏に入らない。
斑尾が基点だと、白川郷とか京都や能登にも日帰りで行ってこられる。
斑尾によく来る、通称マダラーにはそう考えている人が多い。


生前、兄もよく言っていた。
「斑尾だと楽しめる面積が4倍になる」と。
行くときのアクセスを変えればもっと広がる。
だから、20年以上通っても楽しみが尽きないのだろう。

←ホテルマンションの大き目の部屋

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斑尾悠遊

中央が斑尾高原ホテル。
左端に写っているのがホテルマンション1号棟
左方向に順に6号棟まである。
右下の写真は斑尾から見た冬の妙高。↓

6.ホテルマンション万歳

思えば、今までよく働いてきたと思うが、
それだけに、遊びにも貪欲だった気がする。
リゾートに月並みに可愛い別荘も建てた。
流行のいろいろな会員制クラブにも入った。
よく動いて、本当に多くのことを知った。

ショーファーがいて、別荘に管理人が置ける身分ならいざ知らず
蓼科では、私のような人が別荘を持つのはナンセンスだと知った。
夜、別荘に着くと入るのが怖い、中に変な人が居そうな気がして。
冬、別荘に着けば、しばらくは寒くて震えがとまらなかった。
更に、維持費が馬鹿にならないし、行くたびに掃除も大変だ。
着いたら、泥棒に内部を荒らされていたこともあった。
そして、二度と戸建て別荘は持つまいと決めた。

その後、一流企業の会員制クラブDにも数年間所属した。
でも、正月やお盆には長期の予約が取れず、がっかりした。
他には問題はなかったが、いつかときめきが消えて、退会した。
そこには1千万円で入会したが、約束どおり800万円が返ってきた。
当たり前の事だが、この当たり前が実際に履行されて驚いた。

そんな中でも、斑尾のホテルマンションだけは持ち続けた。
深夜に到着しても、煌々と灯りのついたフロントには人がいる。
冬、部屋に入ってもぽかぽかと暖かく、掃除の必要もない。
ホテルが建物を管理しているので、維持費が桁違いに安い。
マイルームだから、予約の必要もないし、泊まりたいだけ泊まれる。
おまけに、腹がへれば外に出ないで、館内で旨い食事ができる。

この私たちの斑尾高原ホテルの成功をまねて
東急グループが「タングラム斑尾」を始めたのは有名な話だ。
ここにもホテルを核にして、マンションやその他の施設がある。
タングラムは近いので、私もここの薄暮ゴルフを楽しんでいる。
これからはこうした総合リゾート施設しか生き残れないだろう。

最初、「ホテルマンション」という言葉の意味が理解できなかった。
今は、「ホテルのついたマンション」の短縮形だと思っている。
ホテルを中心に、周りにマンションが何棟かある景色が目に浮かぶ。


「マンションホテル」という似たような言葉もある。
「マンション機能をもったホテル」ということらしい。
つまり、部屋にキッチンがあり自炊可能なホテルのこと。
ハワイだと、これをコンドミニアム・ホテルと言うのだろう。
共に合成語で、前が性質を、後が本来の用途を表している。

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斑尾悠遊

希望湖から斑尾山を望む!

斑尾をマイ・リゾートとして早30年。
世界に誇る観光地・信越の「へそ」は斑尾。
春夏秋冬、夢中で遊んだ信越の思い出が
私の心の中で、日増しにその輝きを増していく。

5.斑尾点描

夏の夜の斑尾の楽しみはベルセウス座流星群。
8月11日から3日間しか見られない神秘の天体ショウ。
その日本一の舞台が斑尾赤池に浮かんだボートの上。

宵の明星が輝きだす頃、ホテルから15分で赤池に。
ボートでの座り方などの指導を受けて8時に漕ぎ出す。
オールを上げて、池の中央から空を見上げると、
それはまるで神の作ったプラネタリウム。
丸い本当の天空に、くっきりと輝く星、星、星。

レクチャー通りの方向をじっと見て、流星を数える。
信じられない数の流星が次から次へと現れては消えていく。
感動の少なくなった今の私ですら、思わず「すごい」と唸る。
30分があっという間に過ぎ、岸に戻るが、しばらく言葉が出ない。

昼の斑尾には軽井沢のような人の賑わいがないが
忘れていた自然の魅力がずっしりと満ち溢れている。
そんな森の一角には、絵本をテーマにした小さな美術館。
私がくつろぎの場所として立ち寄って早10年余、
ここに来るといつも、忘れていたピュアな気持ちが取り戻せる。

GWの頃の楽しみはミズバショウ。
沼の原湿原には白い可憐な花が咲き乱れる。
駐車場で、家から持参した長靴に履き替える。
狭い木道は人がすれ違うのがやっとだから
残雪や水に落ちたときのために必要なのだ。

こんな斑尾で4〜5日過ごすと
(まだ若いので住みたくはない)
都会のストレスは雲散霧消してしまう。
恐らく今のエネルギッシュな毎日は
斑尾あっての産物なのだろうと感謝している。

※2005年夏のブログ原稿より

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斑尾悠遊

妙高サンシャインゴルフ倶楽部から妙高山を望む

斑尾をマイ・リゾートとして早30年。
そこは世界に誇る観光地・信越の「へそ」
5月から、信越でのゴルフは天国での遊び。
斑尾は勿論、妙高、松が峰、名門・長野カントリー
斑尾から足を運んだゴルフ場は優に十を越す。

4.天国ゴルフ

斑尾の朝はことのほか清清しい。
顔を洗う水は、奥深い山の清流のようで
硬くひんやりとして、手に取った瞬間身が引き締まる。

7時に、早起きの兄が顔を見せる。
一緒にホテルのフロントまで連絡通路を歩く。
額田さんの車で一路、妙高サンシャインゴルフ倶楽部へ。

彼は地元の人で、裏道を知り尽くし
我々のいつもの道とは違ったアクセスだ。
まるで、奥入瀬渓谷のような所を川沿いに走ったりする。
勿論、「いい所でしょ」という彼らしいサービス精神から。

ここのメンバーになったのはその景色の素晴らしさ故。
妙高山の裾野に広がる雄大な本格派のチャンピンシップコース。
四季を通して絶景だが、特に、春の桜の頃は
ゴルフ場であることを忘れてしまう。

戦略的で、且つ自然との調和のとれたレイアウトは、
何度訪れても、初めて出会ったような顔を見せる。
ホールアウト後はコース内のホテル最上階展望風呂へ。
天然温泉に浸り、妙高山麓の大パノラマを堪能しながら
今日のゴルフの反省会。

腕に自信のある私もシングルの額田さんには敵わない。
彼の意見を兄と二人で神妙に拝聴する。
明日は兄と二人で松ヶ峯カントリー倶楽部に行く。
早速、「今日学んだアドバイスを生かして」と胸が躍る。

※兄が元気な頃を思い出しながらの追悼記。

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希望湖から斑尾山を望む!

斑尾をマイ・リゾートとして早30年。
世界に誇る観光地・信越の「へそ」は斑尾。
春夏秋冬、夢中で遊んだ信越の思い出が
私の心の中で、日増しにその輝きを増していく。

3:野尻湖サイクリング

斑尾滞在のホテルマンションから野尻湖までは
ほぼ下り坂で、私の自転車でも1時間くらい。
この湖は軽井沢、高山と並ぶ日本の三大外国人避暑地。
私の野尻湖遊びの基点、エルボスコ近くの神山村には
300戸近い外国人の別荘が点在し、独特の雰囲気がする。

このホテル・エルボスコのコンセプトは読書と健康。
オーガニックの食材を巧みに且つふんだんに使った
東京のAWkitchenのキュイジーヌを楽しめる。
メインダイニングは旬の野菜と手打ちパスタが天下一品。

野尻湖はゴルフ、スキー、サイクリング、釣り、カヌー・カヤック
ウィンドサーフィンなどのアクティビティが充実した大人のリゾート。
夏に斑尾を訪れれば、必ずここでサイクリングとウィンドサーフィンをする。

ここでのサイクリングは、標高660メートルから730メートルの
かなりの高低差を強いられるので、今では電動アシスト自転車を使う。
夢中で走れば、一周の接地走行距離17キロが約1時間だが、
だいたい2時間くらいかけ、写真を撮りながらのんびりと走る。

私の愛用アシスト自転車はパナソニックの「オフタイム」
折りたたみ電動自転車で、3つのアシストモードに加え
7段変速機を搭載し、250Wのモーターで坂道も超快適。
おまけに、世界特許の特殊なセンサーでアシストOFFでも
一般自転車並みの走行が可能で、バッテリー切れの心配がない。

かくの如く最高の避暑地なので、自転車の好きな友人には
だれかれ構わず、「野尻湖を走ろう」と声をかけている。
「斑尾&野尻湖よ、本当にありがとう」

※2008年夏のブログ原稿より

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斑尾悠遊

斑尾をマイ・リゾートとして早30年。
美しい国・日本、その遊びの「へそ」が斑尾。
北に上信越高原国立公園
南に南アルプス国立公園
東に妙義荒船佐久高原国定公園
西に中部山岳国立公園
更に往復に楽しむ富士箱根伊豆国立公園。
私はこの地で、尽きることのない自然の楽しさを知った。

2.雲海のドライブ

亡き兄との思い出の中で、今でも輝き続けている
斑尾までの道すがらの楽しい会話や遊び。
特にゴールデンウィークの頃の記憶が鮮明に蘇る。

兄は軽井沢から鬼押ハイウェイを通り
万座ハイウェイ、志賀草津道路へと抜けていく
日本一の山岳コースがことのほか好きだった。

4月下旬、このコースの最高峰渋峠から
2305メートルの横手山辺りにかけて
道路の両側の5mにも及ぶ雪の壁が
温暖地から来た三浦人の目を楽しませる。

雪の壁が終って熊の湯を抜ければ、もう志賀高原。
長岡塾時代、夏のキャンプでお世話になった思い出の地。
蓮池前の蓮池ホテルで日帰り温泉に浸かりながら
斑尾でのゴルフやサイクリングの話に花を咲かせる。


朝6時に横浜の兄の家を出て
夕方6時には斑尾高原ホテルの「ふる里」で
ホテルの小川社長、額田支配人たちと乾杯。
明日のゴルフに備えて10時には就寝。

※今は社長も支配人も替わっている。

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斑尾悠遊

希望湖から斑尾山を望む!

斑尾をマイ・リゾートとして早30年。
世界に誇る観光地・信越の「へそ」が斑尾。
春夏秋冬、夢中で遊んだ信越の思い出が
私の心の中で、日増しにその輝きを増していく。

1:朝もやの白川郷へ
斑尾に着くと、すぐに地元の友人たちが遊びに来る。
彼らは農家の後継ぎで、野菜の差し入れが山となる。
そんな友人たちの一人と、「明日の早朝、白川郷へ行こう」という話に。

4時に斑尾を出て、豊田飯山ICから松本ICまで飛ばして50分。
松本からは梓川沿いの野麦街道を「女工哀史」を語りながら
奈川渡ダムまで登り、更に少し走って上高地との分岐を左に曲がる。

斑尾から何度も来た乗鞍スカイラインや白骨温泉を左にして更に山懐へ。
飛騨高山で一休みして、だらだらと下坂を惰性運転しながら走ると
東海北陸自動車道の飛騨清見ICに。そこから20分も走れば、
白川郷ICに着く。少し走って7時前にテレビで何度も見た白川郷に到着。

人の少ない自然な匂いする田や川べりの写真を撮る。
江戸期に建てられた「和田家」も内部まで見学。
築300年、現在も人の住む家の構造や歴史に感嘆。
※写真はワンクリックで拡大、更に拡大マークをワンクリックで再拡大可能

           ここまで来て「飛騨牛」を食べないで
           帰ることはできないと意見が一致。
           飛騨古川駅の近くの「安福」に直行。
           赤みが柔らかい本当の牛肉の上手さが
           お喋りに疲れた舌を喜ばせる。

4時まで飛騨で遊び、8時に斑尾へ戻った。
北アルプスの壮大な紅葉も楽しめたし、
お腹も幸せだったしで、至福の一日となった。

斑尾は、信越遊びの基地としても便利だし
都会の喧騒から逃れる最高の桃源郷だし
スキーやトレッキングをするにも最適だしで
ここを薦めてくれた亡き兄に心から感謝している。
😆

(19.10.16)

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旅立ち十色

人があの世へ旅立つときの様子は様々だ。
ひどく痛い思いをする人もいるし、
何十年も長患いをして周りに迷惑をかけてしまう人もいる。

そんな多くの人の旅立ちを見てきたが、
祖父は、文字通り、命をことぶき(寿)にて終えた。
齢90、眠るがごとく逝ってしまった。
「寿命」を全うしたと誰もが祝福した。

実業家だったが、僧籍も持っていたらしく
晩年は、あちこちの集まりで仏の道を説いていた。
そんな生き方を仏様が見ていて、いい死に方をさせたのか。

朝、布団の中で死んでいたという菱沼さん
朝、風呂の中で眠るように死んでいたという小林さん
それほど痛い顔も見せず病院で亡くなった母
これらの死に方は人が羨む方の部類に入るのだろう。

周りには、老後のことなど全く考えない人も多い。
考えなくても無事に一生を終えることもある。
私のように、あれこれ考え過ぎる人もいる。

勿論、私のように生きた方がまあまあの老後を迎えられる筈だ。
でも、私がどんなに頑張っても、死に方までは選べない。
せいぜいいい死に方を願いながら徳を積むしかない。

「南無妙法蓮華経」

(完)

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覚悟

いつも行く小料理屋に週に5日は来る老人が最近見えない。
どうしたのだろうとマスターにその訳を聞くと
「去年の5月に10万円貸してくれと言われ
それを断ってから来なくなった」という。

81歳になるその人はこの店の客の多くが羨む存在だった。
現役時代に貯めた数千万の貯金の取り崩しと
各種年金の合計が毎月40万円以上あって
陶芸、マージャン、夜の店と贅沢な毎日を送っていた。

この老人の昔の口癖は「趣味に生きて、78歳で死ぬつもり
でも、もう予定よりも3年長く生きている。
恐らくかなりあった貯金も底をついたのだろう。
完璧だった老いの設計にほころびが出てきたのか。

大きく広げた贅沢に趣味を交えた生活が維持できなくて
借金までするようになったらしいと隣の客が言う。
いつ死ぬかは神のみぞ知るで、これが人生というものだ。

50で死ぬつもりでいたという小室哲也の悲劇を思い出す。
この二人の場合の「何時死ぬか」は神が決める世界であり、
人がかってに「つもり」だなんて決めると罰の当たる領域だ。
もし決めるなら、「つもり」でなく「覚悟」にしないといけない。

この私も、生活を縮め、年金を大切に使い、
好きなガーデニングをやりながら、70で死ぬつもりだったのだが、
ある人から、「死ぬつもりだけはやめた方がいい、罰があたるから」と
言われ、今では「命ある限り、恩返しの人生を」と考えている。
それやこれやで、五体満足なうちはずっと働き続ける覚悟を決めた。

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「良かった」と言える人生

75になる友人はとても風呂好きだ。
港南台のスーパー銭湯「おふろの王様」へ週に何度か足を運んでいる。
このタイプのお風呂の発祥地は20年位前の名古屋だったような気がする。<当時は「24時間銭湯」とかいって話題になった。 今では日本全国津々浦々どこにでもある。 連れ合いのいる狭い家に一日中いては相手に迷惑だからと, 日がな一日銭湯で時間をつぶす生活を想像してみる。 そう、窮屈を捨てたら退屈が待っているという風景が眼に浮かぶ。 これと同じように20〜30年前から徐々に全国に広がったのがスポーツクラブ。 別名フィットネスクラブと呼ばれているが、 当初は、暇な奥様族にとっては優雅な生活のシンボル的存在だった。 勿論その目的が「健康維持」であることは言うまでもない。 現在、昼間のこれらの施設に共通するキーワードは、 「デイケアセンターだ」と言った人がいる。 昔、最先端で今はそうでないものは多々あるが、 これほどイメージが変わってしまったものも珍しい。 一度、昼間のスポーツクラブを覗くとその意味がよく分かる。 そこで汗として失われていくエネルギーは、 車の吐き出す排気ガス以上の無駄だなんて思ってもいないが・・・ そこでは人が群れるので、自然と派閥が出来、 親分とかリーダーが生まれ、村八分や喧嘩が絶えない。 もちろん、ご他聞にもれず老いらくの恋も生まれる。 忘年会だ、送別会だ、暑気払いだと口実を作っては居酒屋に群れる。 かっこいい男をめぐってのトラブルも絶えない。 もちろん、健康のために通う多くの会員には無縁のことなのだが、 それでも、横目で見て、話題として楽しんでいる人も多い。 そんなスポーツクラブに週に4日も5日も通っている人たちは、 死ぬときには何を考えるのだろうか。 一度でいいから、「どうでした、あなたの人生は?」と聞いてみたい。 「余計なお世話だ」と怒鳴られるかな・・・ 死ぬときに、「素晴らしい人生でした」と言える人でありたい。

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