舎利子 色不異空 空不異色
(しゃりし、しきふいくう、くうふいしき)
観音さまが「舎利子よ」と呼びかけた。
観音さまはお釈迦さまの心の象徴であって実在ではない。
で、舎利子はバラモンの家に生まれた実在の人物。
だから、観音さまが実在の人間に呼びかけているわけ。
つまり、お釈迦さまに代わって観音さまが
舎利子に真理を説こうと話しかけている場面。
先ず、観音さまは「色不異空」と説いた。
「不異空」は漢語的に意味をとって
空と異(こと)ならず=空と同じだ=空だ。
つまり、「色(しき)は空(くう)だ」と切り込んだ。
「形あるものは肉体も含め全て空なのだ」と。
ところがすぐ、「空不異色」と正反対の言葉が続く。
「空は色だ」と言うから、訳が分からなくなる。
去年の春、種類の違う5株をよせ植えにした「せっこく」(写真)
買ってきてすぐに植えたのだが、あっというまに散ってしまった。
でも、そのかわいらしい花の姿はしっかりと記憶にとどめた。
そう、「花びらは散ったが、花は私の記憶の中に咲き続けた」
そして1年が経ち、4日前から、一つまたひとつと咲き始めた。
記憶通りに咲いた花、感動して思わずキスしてしまった。
「色不異空、空不異色」を身を以って感じた1年だった。
目の前に何もないと思っていても本当は「空」気がある。
つまり、大切な「空」気は目には見えないが、絶対にある。
この「ないようである、あるようでない」という「気」の概念。
これもまた、「色不異空 空不異色」の世界である。
食事に気をつけ、体(=色)を大切にしたが、
「生きよう、生きよう」とはもがかなかった祖父。
命にはこだわらないが、体は大切にする。
「神のまにまに、空気のように生きたい」と。
空気はどこに当ってもすっとすり抜けるが
いざとなれば家をも飛ばす力がある。
そんな空気を意識していたのだろうか。
「要るだけは、風が持ち来る、落ち葉かな」
こう言って、落ち葉をかき集めては五右衛門風呂を沸かしていた。
その90歳の死に顔は穏やかで幸せそうだった。