老い支度 (17)

幼友達を何と呼ぶ?
子供の頃の遊び友達がなつかしい。
あの健ちゃんや清ちゃんは今どこにいるのだろうか。
親が生きていた頃よく会った大阪のいとこの浩二君、
すっかり音信不通だが、彼は一体何をしているのだろうか。
もちろん私が還暦を過ぎているのだから
健ちゃんや清ちゃん、浩二君は皆お爺さんだろう。
さて、こうして懐かしい人を思い出すときは「ちゃん」か「君」だ。
しかし、直接会ったら「ちゃん呼び」では失礼かと変な心配が頭をよぎる。
よく会う友人のA君がその呼び方で友達との仲が壊れたという。
A君は同郷の一つ年下なので、私は今も彼をAちゃんと呼んでいる。
それで問題ないと思っていたし、今更A社長なんて堅苦しくて言えない。
それでも心配になったので、ある日「ちゃん呼びでいいの?」と聞いた。
もちろんそれでいいと笑いながら言ってくれた。
その時に、彼のくだんの同級の葬儀屋とのトラブルを話してくれたのだ。
当然同級生だからA君は葬儀屋を「〜君」と呼んでいた、ためらいもなく。
ところがある日その葬儀屋が不機嫌になり、その場を立ち去ったという。
何が起きたか分からずにいたら、後日同級生仲間から
彼が「くん呼びを怒っている」という話が伝わってきたという。
要するに今は小さくてもいっぱしの葬儀屋の社長さんだから
同級生であろうと「社長」という呼び方にしろということらしい。
きっと葬儀屋君はA君ほどの学歴がないことを日頃から僻んでいたのだ。
「君呼ばわり」イコール「馬鹿にしている」と勘違いしたに違いない。
A君は私にその葬儀屋は大したものだと褒めてさえいたのに・・・
老後に、こんなことにまで気を遣わなければならないのかと思うと、
気軽に懐かしさだけで友達に会うのもはばかれる。
大人になれば学歴だけでなくいろいろな点で違いが出てくる。
人に会うたびにそんなことを考えてあれこれと気を遣うのは疲れる。
そんなことなら、いっそ旧友なんかに会わない方がよっぽどいい。
やっぱり、日頃から言っているように友達は少数精鋭がいい。
老後に必要な友は考えに考えて、慎重に選ぼう。
でないと、僻みや恨みからとんでもない事件に巻き込まれるかも知れない。
道路
馬堀海岸

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