老い支度(21)

  言葉の裏
「他人は黙ってろ」
昨年、この言葉を使って30年来の親友を失った。
彼は、「高木の無二の親友だ」と30年間思い続けていたので、
この言葉を聞いて怒り心頭に発したのだと共通の友人から聞いた。
ある事件で警察との立会いがあった。
警察にその場で喧嘩相手を逮捕して欲しかったのに
彼が偽善者ぶって余計なことを言い出したのでつい口から出てしまった。
私は「お前は関係がないから黙っていろ」と言いたかったのだが・・・
しかし、彼がこうして怒って絶交してくるのも神の恵みと考えるのが私流。
だから私は何にも後悔もしていないし、彼に言い訳じみた説明もしない。
「ただそれだけの間柄だった」ということなのだ。
「人は神のまにまに生きている」という祖父の教えに従っている。
だから、きっとこの結果が後で私にも彼にも大きなプラスとなる筈だ。
中国の諺なら、「人間万事塞翁が馬」というところか。
しかし、こんな行き違いが親族の間で起こるとやっかいだ。
友人とは違うから、簡単に「絶交だ」などとは言っていられない。
第一、 亡くなった母が「皆で力を合わせて」と言い残したのだし。
迷信や占いなどどうでもいいが、母との約束は絶対に破りたくない。
そんなことをしたら、必ず精神的な病から辛い人生を強いられる筈だ。
しかし、親族は色々な意味で接点が多いから、行き違いも増える。
そんな行き違いを避けるのに一番大切なのは、その人の歴史だと思う。
つまり、言葉の意味は、その言葉を使った人で解釈しなくてはならない。
言葉の使い手が50年間やってきたことを見てその意味を判断すれば間違いがない。
きっと、「信用は一生かけて築くもの」とはこんな場面のためにあるのだろう。
今一番の友が、以前「〜でないとお前を殺す」と私に言ったことがある。
私はこの人の長年の歴史に鑑み、その言葉の裏を読んだ。
そして、その後この友を全面的に信用するようになった。
言葉の表面的な意味で掛け替えのない人を失ってはいけない。
老後こそ、言葉の裏を読める人でありたい、残りが少ないのだから。

山のホテルにて

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