斑尾悠遊

11:小布施

斑尾滞在中、一度は小布施を訪ねることが多い。
信越きっての豪農商高井家に生まれた鴻山、
その彼の記念館や彼の招いた北斎の記念館で
当時の地方文化や経済活動に思いを馳せる。

彼は15から31まで大阪や江戸に遊学し、高い見識を身につけ
帰郷後、83歳の老画家北斎にアトリエ「碧い軒」を建てたり
明治維新の改革に私財を投げ打って協力したりしたという。
学生時代の勉強には出てこなかった一地方の歴史だが
何となく身近に感じられることも多く、引き込まれる。

もちろん、小布施の名物「栗かのこ」を忘れることはない。
10時の楽しいお茶の後の食事は必ず「蔵部」(下の写真)で頂く。
食後は栗の道の散策し、あちこちの店に寄って楽しいひと時を過ごす。

この町は、街づくりに知恵を絞っているからか、
地方都市には珍しいほどの活気がみなぎっている。
そして現在も、東京理科大学の協力のもとに
歴史的建築に限らず路地や水路なども含めて、町全体を実測し
現状を正確に把握し、そのデータをもとに更なる発展計画を立てている。

全くの余談だが、小布施に来るたびに思い出すのは
あの富士の裾野の無秩序に開発をされてしまった「忍野八海」。
あれだけの観光資源があるのに、無計画に自然を破壊してしまった。
関係地主の欲の突っ張りあいがあったのかどうかは知らないが、
その景観は雲泥の差で、忍野村の今後が思いやられる。

「大好きな富士の裾野をこれ以上無秩序に破壊しないで欲しい」と
35年間、週一ペースで通っている一軒茶屋のマスターに話したら、
彼も同じことを考えていたというのを聞いて本当に驚いた。

↑小布施堂

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