私の般若心経 3

観自在菩薩
(かんじざいぼさつ)

「観自在菩薩」とは
「観世音菩薩」つまり「観音さま」のこと。
過去・現在・未来の三世にそれぞれ千、
合わせて三千もある仏さま、
観音さまはその中の一つ。

法事などで、やけにはっきりと聞き取れるのが
「三世三千の諸仏」という部分だろう。
その諸仏の中でも、阿弥陀さま、お地蔵さま、
観音さまなどは町でお会いする親しみのある仏さま。

例えば観音さまなら
赤ちゃんの泣き方で何を欲しがっているのかが分かる。
これがまさしく「音を見る」で母親の姿そのもの。
だから、観音さまは母親の姿に似ているのだ。
仏さまも「音を観て」、この世の中を判じているのだろう。
相手の本当の気持ちをその声色から見抜けるようになりたい。
そう、甘言(甘い言葉)は真実を語らないことが多いから。

行深般若波羅蜜多時
(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)

「深般若」とは
摩訶般若と似た意味で使われて
深遠なる知恵という意味になる。

「行深般若波羅蜜多時」とは
「行」の後に返り点を入れて漢語的に意味を取ると
「深遠なる知恵の波羅蜜多(完成)を目指して行う時」の意。

「波羅蜜多を行う」とは、
六波羅蜜を実習・実行すること。
六波羅蜜とは人としての完成を目指すための6項目。
布施、持戒、忍耐、精進、禅定(座禅)、知恵の6つで
布施とは社会への返礼、持戒とは己を戒めること、精進は励むこと。

一銭にもならない管理組合の仕事も布施のつもり。
でも、社会への返礼の前に、身近な人への返礼もしておきたい。
そう、家族への返礼も旅立つ前に忘れずに。
これも立派なお布施なのだから。

こんなブログを書くのは持戒の念があるからか。
きれい事を書きながら自分を戒めているのかも。
書いていることと正反対の若気の至りも数多くあったから。
私にとっては、こうしてブログを書くことで
「波羅蜜多を行っている」つもりなのだ。

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