老い支度(19)

宗教
新興宗教のチラシがポストに入っている、毎日のように。
時には、千円以上の高価な本が入れられていることがある。
私も人の子、暇なときにはついつい目を通す。
とてもいいことが書いてある、しかし、いい事は誰でも言える。
極端に言えば、小学生でも。
「願いが叶わないのは念じる努力が足りないのだ」とか、
「毎日、毎朝のお祈りを欠かさないように」とか。
時には、「〜祈願」なる行事の日程が書いてある。
私は、神様に願い事をするのが大嫌い。
神様には、今のこの幸せを感謝するか、何かの誓いたてるだけ。
だから、「〜祈願」とそれへのお布施なんて絶対に出来ない。
ある日、興味本位でとある新興宗教の集まりを覗いた。
50〜60代の女性で溢れかえっている。
この不景気の真昼間、こんなに余裕のある人たちがいるのだ。
男性はほとんどいない、だから覗いただけで部屋には入らなかった。
街でそんな宗教の布教をしている人たちに話しかけられた。
「世界中の人たちにこの幸せを分けてあげたい」
「世界を平和にするためにこの教えを広めたい」
「この宗教が明るい日本の実現に必要なのだ」
「祈願すれば必ず願い事は叶う」
信じられないような強い信念で伝道活動をしている。
この善男善女の心の美しさには頭が下がる。
きっとこの活動の結果があの大集会に繋がっているのだ。
聞けば、この宗教が1年で集めるお金は数百億で、おまけに無税だという。
百億を1万円で割ると信者が少なくとも百万人以上はいることになる。
この宗教組織で働いている人が5百人とし、一人当たり5百万円の給料とする。
とすると年間の人件費は25億、水道光熱費などが5億で・・・
とすると、年間の新しい教会建設費が50億以上はありそうだ。
私の頭の中で数字が踊り、教祖の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。
それに比べると、私の菩提寺のなんとみすぼらしいことか。
確か、年間護寺会費は1万円くらいで新興宗教と大差はない。
ただ、この寺は檀家の数が少なすぎる、200人はいないだろう。
お盆や彼岸、お正月のお布施もあるだろうが、経営的には苦しそうだ。
墓地を造成して、檀家をもっと増やさないと・・・・
寂しい老後に宗教がどんな意味をもつのか?
還暦は過ぎたが、老後に宗教が必要なのかどうかが分からない。
ただ、寂しいからといって変な宗教にだけははまりたくはない。
お布施が全くかからない宗教ってないんですか?
布教活動をしなくていい宗教ってないんですか?
規則のない楽しいだけの宗教ってないんですか?
他教を認め喧嘩をしない宗教ってないんですか?

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老い支度(19) への2件のフィードバック

  1. sam のコメント:

    私も個人商店なのである意味教祖?です。
    多少高くても買いに来ますし、
    激安にしても、よそで買われるお客様もいます。
    頼ってくるお客様に問われた事全てに返答しなければいけません。
    イベントも一種の宗教だと思いませんか?
    やはり違うところは税金がかかってくることでしょうか? とほほ

  2. 匿名 のコメント:

    なるほど、イヴェントが宗教ね・・・
    面白い考え方ですね。
    じゃ、塾にも宗教的な側面がありそうですね。
    そういえば、今でも何十人もの元生徒が訪ねてくる。
    上は55歳から下は10歳まで。
    私は高木教の教祖か?
    ご馳走はするが金を取ったことがない。
    理想の宗教ですね・・・

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