受想行識亦復如是
(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)
「色即是空、空即是色」は般若心経の中でも特に知られている。
この「色」の後に、「受想行識」と続けて、「五蘊もそうだよ・・・」と。
「受想行識も亦(また)復(また)是(これ)の如し」と漢語的に読む。
「色即是空、空即是色」だけでなく、
他の「受想行識」の四つも加えて、
「五蘊即是空、空即是五蘊」だと念を押したのだ。
「受」は心で受け止めること、「想」は受け止めた後の想い、
想いが行動になると「行」つまり意思活動、
そして最後にその経験が知識となって身につく「識」
要約すると、「感じ⇒想い⇒意志行動⇒経験知識」にも
「色」同様に実態がなく、それに価値を生じるのは
因縁を絡めるその人次第だと説いている。
長かった結婚生活、愛する人が他界しても
もしその想いが輝きを失わなかったとしたら
もしその人の墓前でお参りする心が美しかったら
この人は般若心経を会得してしるということなのだ。
花のないつば木の枝を「空」なるものとして
ゴミ箱に捨てる人もいれば
枝を花器に挿し、花を脇に置いて
「落花の風情」でお茶を服する人もいる。
そのおおらかな心情こそが「人生のお点前(てまえ)」
そんな「般若心経的な人」になれたらいいなと・・・。
「摩訶般若波羅蜜多心経」