いつも行く小料理屋に週に5日は来る老人が最近見えない。
どうしたのだろうとマスターにその訳を聞くと
「去年の5月に10万円貸してくれと言われ
それを断ってから来なくなった」という。
81歳になるその人はこの店の客の多くが羨む存在だった。
現役時代に貯めた数千万の貯金の取り崩しと
各種年金の合計が毎月40万円以上あって
陶芸、マージャン、夜の店と贅沢な毎日を送っていた。
この老人の昔の口癖は「趣味に生きて、78歳で死ぬつもり」
でも、もう予定よりも3年長く生きている。
恐らくかなりあった貯金も底をついたのだろう。
完璧だった老いの設計にほころびが出てきたのか。
大きく広げた贅沢に趣味を交えた生活が維持できなくて
借金までするようになったらしいと隣の客が言う。
いつ死ぬかは神のみぞ知るで、これが人生というものだ。
50で死ぬつもりでいたという小室哲也の悲劇を思い出す。
この二人の場合の「何時死ぬか」は神が決める世界であり、
人がかってに「つもり」だなんて決めると罰の当たる領域だ。
もし決めるなら、「つもり」でなく「覚悟」にしないといけない。
この私も、生活を縮め、年金を大切に使い、
好きなガーデニングをやりながら、70で死ぬつもりだったのだが、
ある人から、「死ぬつもりだけはやめた方がいい、罰があたるから」と
言われ、今では「命ある限り、恩返しの人生を」と考えている。
それやこれやで、五体満足なうちはずっと働き続ける覚悟を決めた。