住み分け

人間は何種類かに分けられて生きている。

特にアメリカの場合はそれが顕著だ。
人種差別は減ってきてはいるが、住み分け
はなくなっていない。勿論、地下鉄の
ような公共施設内では人種による車両の
区別などは完全になくなったが・・・・

その住み分けを認識していてもいなくても、
普通は問題なく生きていかれる。しかし、
認識していないと、思わぬ落とし穴に落ち、
人生を誤ってしまうことは今でも多々ある。

住み分けの定義にもよるが、私はこんな
要素が分け方の基本だと思っている。
経済力、学歴力、腕力・暴力、情宣力
政治力、行政力、等々。これは勿論、
日本国内での話である。これがアメリカ
だと人種も加わってくる。だから、
50年前に住んでいたあのビバリーヒルズ
では、黒人を見たことがなかった。

この認識がなく行動して失敗する日本での
典型的な例は飲み屋街選びだろう。もし
新宿3丁目で飲み歩いていたら、どんなに
経済力や学歴力があっても大きな顔をして
歩いたりしてはいけない。もし、そんな
ことをしたら、翌朝ボコボコにされた顔を
して家に帰ることになる。

また、学歴力に酔いしれて、偉そうに
正義感を振りかざして駅で歩きたばこを
注意したりしたら、今の日本でも骨でも
折られるのが関の山なのだが、そんな学歴男
が後を絶たない。「お前は何を学んできたんだ?」
と思わず聞いてしまいそうになる。住み分け
認識力の欠如はとんでもない結果に
繋がってしまうことを知らない人が余り
にも多すぎる。

どんなに事業で成功して経済力があっても、
行政力にたてつけば、徹底的に虐められる。
だから、お金が出来ると政治家に近づく人
が多いのはこの行政力を味方に引き入れ
たいからなのだ。この好対照がホリエモン
とアパホテルだ。

ホリエモンは、政治家とのつながりを
作らないうちに行政力にたてついて
刑務所に送られた。半面、アパホテルは
行政力との絆を作っておいたから、
コロナ禍でも「コロナホテル」の指名を取って、
業績を維持した。これこそが、住み分け
認識力の差が人生を左右した典型的な
実例だ。自分がどの世界に住んでいて、
どんな力が足りないかを認識して、初めて
上手に人生を全うできるのだ。

暴力の世界に行けば、学歴力なんて糞
みたいなものだし、政治力の前に行けば、
経済人も膝まづかなければいけない。
これが世の中だということを知って行動
している人は、日々是好日である。
それは、千年後も同じなのだ。

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