私の般若心経 6

色即是空 空即是色
しきそくぜくう、くうそくぜしき

この言葉を、兄の結婚式で、来賓の故迫水久常議員が二人に贈った。
大蔵官僚から国会議員になった「知性の迫水」さんらしいお話。
彼はこの8文字を「因縁」に結び付けて次のように語った。

ある和尚様が小僧に千利休の孫の宗旦へ椿を届けさせた。
その椿の名が「妙蓮寺椿」、二人の新居の地名も横浜の妙蓮寺。
そこまで考えて、この8文字の本質を説いた。

小僧は持っていく途中で椿の花を落としてしまった。
ところが、宗旦は何も言わず、茶室に小僧を招き入れ、
花のない妙蓮寺椿を花器に挿し、落ちた花をその脇に置いた。

咲いた花はいつかは散るもの、それが「因(直接的条件)」
それを小僧が運ぶ途中で落としたのは「縁(間接的条件)、
その因縁を生かし結果を素晴らしいものとして受け取るのが私。
このように「因果」を説いて、小僧の労をねぎらったというのだ。

花のない椿の枝も落ちた花も何の値打ちもない「空なるもの」
しかし、和尚や小僧の気持ちとそれを受け取った宗旦との絡みで、
つまりは様々な因縁の中で、「空なるものを空でないものにした」

「結婚も二人の、家族の、友人の、上司の・・・
様々な人の因と縁で成り立っている。
だから、それらを生かして、空でない素晴らしい世界を作りなさい」と。

「色即是空」とは
文字通り、「形ある色(しき)は即(すなわ)ち是(これ)空(くう)なり」。
「空即是色」とは
文字通り、「空とは即ち是(これ)色なり」。

「色即是空」だけでは、本来の般心経の意味は理解できない。
この前段と後段は「因縁」で結んで始めて一つの意味になる。
それが迫水議員の「妙蓮寺椿の逸話」に盛り込まれていたのだ。

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