●運と誠実

大学1年の生活は無一文でスタートしたが、
最初に巡り合ったバイトに恵まれ、
いきなり最高級外車に乗れる豊かさを
手に入れ、以来幸運に恵まれ続け、
今の今まで極楽の人生を送ってきた。

更に、人生の中で30回以上転居したお陰で、
人生のどの部分を切り取っても、
「退屈な日常を味わう」ことはなかった。
つまり、夢のような非日常が連続する
人生を送ってきた。

大学2年にはロスで約一年遊んだ。
ビバリーヒルズやサンタモニカビーチが
遊び場だった。大学3年で新橋に
カフェをオープンし、昼はゴルフで夜は
カフェという日が多かった。高校時代と
同様に学校にはほとんど行かなかった。
カフェ経営は素人だったが地の利だけで
成功した。その頃の住まいは渋谷区の
松濤町で、正に日本の一等地で暮らして
いた。桜田淳子が同じマンションに住ん
でいた。

母の「一度はサラリーマンをした方が
いい」というアドバイスで卒業後は
大企業に就職した。学校には行かずとも
卒業時の成績はかなり良かったので就活に
苦労はしなかった。

新卒で入った会社ではゴルフの腕前を
評価され、週に一度の接待ゴルフに
連れていかれた。つまり、会社のお金で
週一のゴルフを楽しんだ。そこでは、
「お客さんのラフに入ったボール探し
の役」を任された。ボール探しのついでに、
ちょっと白杭の外に出たボールを蹴飛
ばして杭の内側に入れることも重要な
任務だった。

つまり、自分の打球が常にフェアウェイを
キープする者にしか出来ないそれなりに
難しい仕事だった。アフター5は温泉と
麻雀で、夢のような新入社員生活を送った。

28歳で独立し、学習塾経営で成功した。
なので、30歳で340㎡の海の見える露天
風呂付の自宅を建てた。42歳で社員百人
にまで大きくなった会社を3億円で売り、
街を美しくしたいという想いを抱いて横浜で
貸しビル業を始めた。住所変更をせず、
体だけは横浜の港南区中心の生活を
開始した。バブル崩壊の波の中でも、
貸しビル事業は成長し続けた。

50代で上大岡に引っ越した。横須賀の家は
そのままにしたので、ここでも住所変更は
しなかった。だから、免許証の住所は
ずっと横須賀市だ。上大岡の生活は松濤町
の生活に似ていた。上大岡は渋谷の丸山町
に似ていて夜の遊び場が多く、眠らない街
だった。

その頃は、冬は斑尾でスキー、夏は蓼科で
ゴルフをして過ごした。両方に別荘のある
快適な毎日だった。ビリオネアーでは
なかったが、その程度の余裕はあった。

そして、77歳の今も、家の近くに海一望の山
を一つ買って,自給自足の出来る森の中の
生活を夢見ている。こうして、毎日が非日常
の連続する人生を歩んでいる。これを可能に
しているのは誠実と強運だ。

人生で一番大切なことは運のいい人に
囲まれ誠実に生きること。二番目に大切な
ことは自分の運を信じ苦しいときも曲がった
ことをしないこと。その結果、人に愛されたら、
もう成功は間違いない。

加えて、己に降りかかる全ての事象を幸運と
思い神に感謝する強い生き方をすることだ。
そうすることで、自然と顔が笑顔になって
病気とは縁がない人生を送れるようになった。

人生って、人に愛されてこそ素晴らしい
ものになることを知った77年間だった。
死に物狂いの受験勉強や苦しいい徹夜の
仕事とは無縁の人生に感謝している。

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