観光協会主催でハイキングの催しをする
ことになった。出発は京急長沢駅で終点が
津久井浜観光農園までは決まったが、
途中のコースが中々決まらない、
東光寺の裏の坂を通るとか通らないとか}
で意見が割れたのだ。その会議の場で、
何度も何度も「東光寺の裏の坂」という
言葉が飛び交った。聞いている方も話す
{解脱の坂のカラスウリ} 方も長くて面倒くさい。ふと、私の脳裏に名案が浮かんだ。
これからは、東光寺の裏の坂は「解脱の坂」
と呼ぶことにすれば、言う方も言いやすいし、
聞く方も耳に心地よいではないかと。その
アイデアが浮かんだ時に考えていたのは、
京都の銀閣寺から始まる1キロ半の小径
「哲学の道」のことだった。
私が学生の頃はまだ哲学の道とは
言われていなくて、「疎水の小径」と
呼ばれていた。それが10年後の30歳の頃に
行った時には、どのパンフレットにも
「哲学の道」となっていたのだ。
要するに、地名なんて自分たちの都合で
勝手に命名したり、変更したりすれば
いいことをその時に知ったのだ。特に
観光戦略としては、その方がずっと
賢明だと思えた。
東光寺の墓地に沿って歩くこの道は、
海側の墓石が崩れたりなくなったり
していて、嫌でも無縁仏の多さを思い
知らされる。「死んでしまえば
いつまでも墓石なんて建っている
わけではない。そう思ったら、人生は
生きているときが花だということを悟る
ことができる。だから、この坂は、
人生とは何かを悟らせてくれる正に
解脱の坂なのだ。
これから何百年と、この道が解脱の坂と
呼ばれると思うとワクワクする。
観光協会の仕事って、ボランティアだが
実に楽しい。私の人生は、いつも、
どこでもこんな楽しさに満ちている。
「解脱の坂」と共に、
永久に栄えよ
故郷の街!