空き家問題

姉が伊豆の別荘を買ったのが1990年。
バブル末期だが、まだ「土地は宝」という
土地神話は残っている頃だった。
あれから30年、姉も卒寿になって
断捨離をしようと別荘の売却を決断した。
しかし、2300万で買った別荘は、ただ
でも売れない負動産になってしまった。

手放したくても売れない理由は、
持っているとかかる費用の問題だ。
別荘には使わなくても固定資産税が
かかる。姉の場合は年間8万円、更に、
開発別荘地なので管理費がかかり、
それが年間7万円。合計15万円になる。
それに修繕費などを入れたら年間50万は
くだらない。

だから、結局は売れないまま他界すること
は目に見えている。弟の私に「あげる」と
いうが、強く断った。百万円くれても嫌だ。
市役所に寄付すると申し出たが、そんな
制度はないと断られたのは言うまでもない。

こんな負動産の話は横須賀にもごまんと
ある。俗にいう、「空き家問題」という
変にロマンチックな響きのある難問題だ。
横須賀の中心地は文字通り「横須賀中央」
その横須賀中央を取り巻くように丘陵地が
ある。その丘陵地に建つ家々は車が入れ
ない長い階段の先にある。

横須賀市もまた市内の不動産屋も、
更には商工会議所もこの空き家問題を
解決しようと躍起になっている。しかし、
この10年、空き家問題を根本的に解決した
人はいない。それどころか、そんな活動の
中で多くの被害者を生んでいる。

何故なら、伊豆の別荘地と同じで、
「ダメなものはダメ」なのだ。車も入らない、
階段しかアクセスがないような所に誰が
好んで住むだろうか。バカげたことに、
若い学生さんなら住みますよ不動産屋に
唆され、高いお金をかけてリフォームを
した持ち主がいた。余計なことに新聞社も
素晴らしいアイデアだと持ち上げた。

あれから7年、この家は今も誰も住まない
空き家で、持ち主は借入したリフォーム代が
払えなくて自殺した。その後も、芸術家を
呼んで、パリのモンマルトルのような街に
しようとかIT関係者を呼んでシリコンバレー
にしようなどと不動産の基本が分からない
奇抜なアイデアを持ち出す人が現れ、
そのたびにマスコミが持ち上げた。

しかし、今は、アパートなんて超過剰で、
新築で便利なところしか借り手が見つから
ないという時代だ。いくら安くても、そんな
不便な所に住みたいなんて誰も思わないのは火
を見るより明らかなのに・・・・結局、
最後に被害者になるのは踊らされた空き家の
持ち主たちで、リフォームにかけたお金は
雲散霧消して永久に戻ってはこない。

結局、「空き家問題」という妙に
ロマンチックな響きのある言葉に踊らされる
人たちが後を絶たないのは、行政にも
責任がある。ダメなものはダメなんだから、
空き家地区は自然の森に戻せばいいのに、
変にアイデアを募集したりするから自殺者
や破産者を生むことになるのだ。

日本の住宅総数は日本の総世帯数を遥かに
超えていることをなぜ忘れてしまうのか。
2030年には、空き家率が25%になると
言われているのに、なぜ「空き家問題」に
取り組むのか。もし可能性があるのなら
とっくにプロの不動産会社が取り組んでいる。
プロが絶対に目を向けない土地なのだから、
そろそろ行政も商工会議所も目を覚まして
もらいたい。腐った鯛は生き返らないのだ。

勿論、ブルトーザーを入れて大規模開発を
するのなら、横須賀中央に近いから話は
別なのだが・・・・そうなると、自然破壊
だと変な方から邪魔が入る。だから、森に
戻すしかないと言っているのだ。

※同じ1990年に弟の私が関内に1億で
買った土地は、今では5億に値上がり
している。人口減少下の不動産は、
価値の付加が可能かどうかを判断すること
が重要で、付加出来ないと判断したら
手を引き、付加が可能ならどのように
付加するかが知恵の出しどころとなる。

例えば、未利用の観光資源が眠る北下浦
などは今後の発展は間違いない。北下浦
の里山を歩けば、その美しさに驚嘆する。
川のせせらぎには青いカワセミが舞い、
田にはシラサギが餌を啄んでいる。
解脱の坂から望む海は本当に辛いことを
忘れさせてくれる。

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