我が闘争

「人生は楽しかったか」と問われれば、
「思っていた以上に楽しかった」と
答えられるが、さすがに闘いや苦悩が
なかったとは言えない。自分の想いを実現
するためにはどうしても闘かわざるを
得ない場面は、60年間絶えることは
なかった。その意味で、挑戦者を自負する
者には闘いは宿命なのだろう。問題なのは、
その闘いが明るいものだったかどうかだ。

上大岡や東戸塚のマンションで理事長を
やっているときも、基本は闘いに明け暮れた。
例えば、水道管の更新工事を倍の80年に
延ばすため、マンションの水道管に活水器
をつけようと理事会に議案を出した。
水道管の寿命を縮めるのは赤錆だから、
黒錆化する活水器をつければいいと単純に
考えたのだ。既に、自社ビルでその良さを
経験していたから何の反対もなくやれる
ものだと思っていた。

ところが、これに反対する人間が現れたのだ。
確かに1千万はする工事だから、説明会は
するつもりだった。しかし、その説明会の
前に、活水器の科学的根拠を研究する会を
開けという。反対派には、東大の物性
研究所の教授や大手新聞社の記者など
そうそうたるメンバーがいた。

私が呼んだ活水器のメーカーの人間も
タジタジになる鋭い質問がこれでもかと
飛んできた。結局は、これからの研究課題
ということで即座に実施に移すことは
叶わなかった。マンションのためにという
美しい心を以てしても出来ないことが
多々あった。これが、自分の会社なら
好きなように出来たのにと悔しい思いを
したが、今思えば、楽しい闘いだった。

ビル建築なんぞは、正に闘いそのもので
あった。特に、周辺への説明責任が発生
する4階以上の建物はもう二度と建てたく
ない、特に横須賀では・・・・・

ところが、東京の高輪での6階建てビルの
建設はかなり楽な説明会になった。その時
こそ、住民の民度というものを感じたことは
なかった。気分を害する発言はほとんどなく、
高輪への愛着が強まった。当然、建築中も
竣工後も嫌な思いはしなかった。横浜や
横須賀での闘いの記憶があったので、
本当に土地柄の違いを感じた。

別荘地での闘いもあった。斑尾高原ホテル
に直接連結した別荘マンションでの出来事だ。
どんな社会にも古くからのボスがいるものだが、
ここにもYという嫌な男がいた。新参者の私
にはそんなボスの存在などどうでも良かった。
だから、そこでの町内会のような集まりでも
正論を言いまくった。それがそのボスの
機嫌を損ねたらしく、酷く悪口を
言われていたらしい。でも、全て
馬耳東風で相手にもしなかった。
そんな思い出深いボスも今はもう他界
してしまった。

「政治家にはならない、人は出来るだけ
雇わない、絶対に群れない」という
楽しく生きるための3か条を設定して
生きてきた。そんな条件の中で可能と
思われる最高の人生を歩んできたように
思う。だから、今では、色々な戦いも
素敵な思い出となってこの楽しい人生に
花を添えてくれている。

戦ってくれた方々には、深く感謝したい。
彼らがいなかったらサビ抜きの寿司の
ようなつまらない人生になっていたに
ちがいないから・・・・・・・・

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