再婚を考える友へ

若い女を愛した50代の男は考える。
「これが人生最後の出会いだ」
年齢からくる誠意で、男は更に考える。
「この女を死ぬまで愛しぬく」と。
20年たってこの年老いた男は更に考える。
「こんな人と出会えて最高に幸せだ」と。

相手の30代の女は考える。
「50代の男って素敵だわ」
それから20年たって、この女は考える。
「70代の彼はもう魅力がないわ」
そして、今はこう考える。
「ただのぬれ落ち葉とは別れようかしら」

この世は、そんな愛と性の相克で成り立って
いる。俺はもうこの女を愛しぬくと考える
初老の男と、愛した男が年を取ることに
気づいた年増の女。男の都合と女の都合が
合致している間だけの相思相愛は決して
永遠のものではない、経年劣化という
過酷な現実の前では・・・

人の愛は、全て独占欲から生まれる。
独占欲が消えた時、愛も消える。愛の火が
どうやって、どちらから消えるかは神のみぞ
知る。男も女もその愛の火が死ぬまで
消えないことを錯覚して生きている・・・・・

でも、定年退職した男の多くは、こんな愛の
ことを考えるエネルギーもなく、「もう、
そんなことはどうでもいい。俺はただの
ぬれ落ち葉で構わない」という世界に
生きている。でも、その傍らで女はまだ
燃えている。このギャップがまた面白い。

篠原涼子の離婚は、そんな男と女の世界の
出来事なのだろう。自由奔放な涼子は次に
どんな男を選ぶのか・・・・そして捨て
られるのか?もうすでに、彼女が愛した
若い男は逃げようとしている。「こんな
年増となんてただの遊びだよ」と言いながら、
早晩、涼子所有の愛の巣のマンションを出て
行くに違いない。

そうこうしているうちに、涼子も年増から
老婆へとなっていく。顔は整形でなんとか
なるが、垂れたあちこちはもうどうにも
ならないと知りながらも、未練がましくも
若さにしがみついていく。

こんな不安定な愛の世界に、安穏と生きて
いくにはかなり強い精神力が要る。そうで
なければ、かなり緩い執着心が必要だ。
「去る者は追わず」という独占欲の希薄な
世界で気楽に生きられたら、恋愛に於いては
勝者になれる。

こんな愛のドラマをいくつ見てきたことか・・・
誰もが背伸びして見果てぬ夢を追う。
悲しく終わる老いらくの恋をいくつ見て
きたことか。わが友も女に捨てられて自ら
命を絶った、なんと齢70歳で。死んだ
彼の手には長年連れ添った妻の写真が
握られていた。

だから、老いらくの恋で再婚するのだけは
やめた方がいい。家族が可哀そうだから。
特に50代の男と女よ、「若いのは今、
この瞬間だけなんだ」ということに気づくべきだ。

恋多き老爺、老婆に幸多かれ!!!

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