不動産の出口戦略

不動産投資家として50年を生きてきた。
20代に建てた家や店舗は全て跡形もない。
30代に建てた家やビルの半分は今でも
現役で、減価償却も終えキャッシュフロー
の柱になっている。

築45年を過ぎた建物は、まるで私と
同じように早晩最期の時を迎えようと
している。だから、建物も、人生も、
最期の時の迎え方を考えておかなければ
ならない。それが出口戦略である。

不動産投資でよくあるパターンは、
先ず入り口で駐車場として土地を購入する。
その後、時代とともに駐車場収入が増えて
いけばそのまま20年でも30年でも駐車場を
続ける。しかし、周辺に競合する駐車場が
増えて売り上げが落ちてきた場合には、
三つの出口を考える。①売却する②テナント
を探してからビルを建てる③貸家にする。
西横浜駅1分の土地は②の典型で、購入時は
駐車場で今はマイバスケットに貸している。

横須賀なら米軍への貸家投資はかなり多い。
もちろん、流行があり、横須賀ならどこでも
いいという訳ではない。今は、基地の近く
よりも景色のいい場所の稼働率が高い。
堀之内駅2分のビルは典型的な③で、
駐車場→マンションと塾の複合ビル→
外人貸アパートと歴史を刻んでいる。

ビルを建てた場合にも、時代の流行に
合わせて建物の雰囲気を変えていく努力は
必要だ。建てれば借りてくれる人がいる
なんて甘い時代ではない。新横浜に持つ
建坪100坪のビルなどは、45年間で2回
大きな改装をした。今回の改装は8千万
もかけた。それでも、最後には解体の時を
迎えるのだろう。

一般的に、一件一億の投資で月80万の家賃を
頂き、30年間で3億を稼ぎ出すのが、貸しビル
投資の成功パターンである。こんな物件を
3年に1件、30年間で10件やるには、
極上の不動産情報を持ってきてくれる人の
輪を作っていくことが大切だ。

兎に角、返済も終え、償却も終えた物件で、
収入を得ていると、「この建物もよく
頑張ってくれたなー」と感謝に堪えない
気持ちになる。30年以上の歴史を持つ貸し
ビル屋の強さは、そんな返済のないビル
からの利益で効率よく改装できることだ。
ぼろぼろのビルを見ると、その持ち主の
経営状態がよく分かる。

もういつ解体しても悔いのない建物たちを
見ると、まるでいつ死んでも悔いのない
自分の姿と重なってしまう。

「逝き方を考えて今を生きる」

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