貸しビル業

貸しビル業というのは、世間が思っているよりは中身の濃い仕事だ。ただ建物を建てて貸しているなどという単純な仕事ではない。 時には、時代の先端をいく仕事を生み出さなければならないし、時には、人の幸せのために尽力しなければならないし、時には、街興しをしなければならないし・・・

今まで塾に貸していた50坪の部屋が、空室になって、三日目。行きつけの「気持ちよさ専門のマッサージ店の私担当が言う、「うちもコロナで客が減り、明日で閉店なんです」と。 人の困った話を聞き流せない性格だから、「俺が何とかしてあげるよ」と軽薄な返事をする。そして、その晩、いつものひらめきが脳裏に浮かぶ。「そうだ、あの50坪の空室に、気持ちよさと美づくりの今までにないサロンを作って、彼らを全員自営業者にしてあげよう」と。

それから一月経った10月1日に「気持ちのよい健康サロン」をオープンした。 そして、20日が経って、売上を訊いた。信じられないような金額を言う。今までにない業態を考え出した自分に、改めて「強運」を感じた。

ビルの建てなおしで追い出されそうな経営者が訪ねてきたのが6月。今のスタジオのそばに40坪のお部屋を貸してほしいと言う。関内にあるちょうど40坪の貸室は既に借主が決まっていた。でも、その借主は余裕のある人だと知っていたので、「困っている人に貸したいのですが・・・」と私が懇願すれば、何とかなりそうな気がした。

それから、二人で菓子折りを持って、契約をキャンセルして欲しいとお願いに行った。案の定、気持ちよく願いを聞き入れてくれた。こうして、この困っていた人を幸せにしてあげて、私も内心ほっとした。今は10月末、彼の事業も順調に推移しているという報告があった。

私が土地を買うときには、一瞬で決断する。それは、あまり頭を使って仕事をするタイプでないからだ。「閃き」とか「直感」で77年間生きてきたのだ。 ただ、その勘には一つだけ裏付けがある。この土地にビルを建てて、この周りの人たちが幸せになるかが閃きの裏付けとなっている。

今、私が三浦半島創生に汗を流しているのも、原点はこの故郷に活気を取り戻し、人々の笑顔が溢れる街を見たいということからきている。
建物を建て,不動産屋にテナントを入れてくれと依頼するのが貸しビル業だと思ったら大間違いである。私のビルのテナントさんは不動産屋さんが紹介してくれたケースは半分以下なのだ。ほとんどが私の人脈で決まっている。つまり、貸しビル業がここまで深い仕事だと分かってくれる人たちに助けられて生きているのだ。

カテゴリー: 不動産・ビジネス パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です