近くに公園がある。
「無人の〇〇公園」と呼ばれている。
30年前は子供たちの声がこだましていたのだが・・・
昔は走り回れる明るい広場が公園の真ん中に
あった。ある日、そこで子供が転んでケガを
した。早速、市に「危ないじゃないか」
という一通の苦情が届いた。市は広場を
お花畑にした。たった一通のお手紙に動揺して。
子供たちは遊べなくなり、公園から子供たちが
消えた。当然、公園は安全になり、市はほっと
した。安全な公園を推進した議員は胸を張った。
市は最初の数年はここにお花を植えていた。
でも、いつの間にか花はなくなり、雑草の
生い茂る公園になり、蜂と蚊の天国になった。
言い訳は「お金がなくて予算が・・・」
という決まり文句だった。だから、散策を
する老人も消えた。子供が消え、老人が消え、
蛇の出る無人公園になった。
コロナ禍で、海岸通りの無料駐車場は県知事の
英断で閉鎖された。マスコミも手を叩いた。
当然、観光客は激減し、駐車場付近の商店は
打撃を受けた。多くの人を遠ざけた進入禁止の
醜いバリケードが無人公園を連想させた。
どこもかしこも無人になっていく。
これが今の日本の縮図のような気がした。
「公共」とか「安全」とかを優先し、少数の
苦情に右往左往する政治とマスコミとが、
最後に無人の日本を作り上げていく。
暇人のごり押しに政治とマスコミが振り
回され、その他大勢の大人しい人が苦しみ、
就職の機会も失われ、自殺者がそっと
この世を去る。
IR事業とか道路建設のような経済促進とか
利益誘導という活気に必要な事業を避け、
歴史とか文化という美しい事業に奔走する政治家。
人が誰も来ない○○記念館とか○○歴史博物館と
か○○文化会館とかいう箱物に何億という
お金をつぎ込む。結果、予算のつかない
IR事業とか道路は完成予定を過ぎて10年、
いつまでも出来上がらない。
そして、議員は責任がのしかからない
ふわふわした美しい言葉で票を集める。
「人に優しい政治」
「温もりのある政治」
「美しい心の政治」
「弱者に光を当てる政治」
こんな訳の分からないスローガンの踊る
日本は、60年前一学年250万人いた一年生の
生徒数が今では100万人を切るまでに
減ってしまった。中国人だらけで日本人が
消えた貧しい日本国がもうすぐやってくる。