幸せの原則

戦後の混乱期に父が他界した。
母と5人の子供が残された。
大工さんの屋根裏部屋で
6年に及ぶ辛い日々が始まった。
その時、私は3歳だった。

そんな我が家を救ってくれたのは
地元の多くの名士たちだった。
保育園用の土地を寄付してくれたのは
長沢に住む鉄工所経営者のSさん。
そこに保育園の建物を建ててくれた
のは横須賀の米軍の人たちだった。

長岡保育園はこうしてスタートした。
私がこの北下浦の方々への恩返しに
拘るのはそんな歴史的背景がある
からなのだ。

戦後の復興期、人々は心美しく助け合った。
米軍の人たちも復興に手を差し伸べた。
勝っても、「人を不幸にしてはいけない」
という考え方を忘れてはいなかった。
そのことに感動を覚えた。

資本主義社会は激しい競争の社会だが、
勝者になった者は、決して勝ち誇っては
いけないのだ。勝者は敗者に手を差し
伸べることを忘れてはならない。

もし、勝者が傲慢に生きたら、
物質的豊かさを手に入れられても精神的な
幸福は手に入れられないということを学んだ。

会社を経営し、利益という数字を追い求める
宿命を負って生きている毎日だが、
決して不幸になる人、犠牲になる人を
作り出さないように配慮している。
経営者はそうでなければいけないのだ。

それでこそ、真の幸福になれるのだと信じて、
生きている。もう一度、確認する。
「自分の幸せのために人を不幸にすることが
あってはならない」

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