死を明るく語りたい

死について語ることを避ける人が多い。
人類に平等の絶対的出来事なのに。人生で最高
に重要なことなのに。そして、死への支度はと
ても大切なことなのに。

死に方を分類したことがあるだろうか。多い順
に整理してみよう。
① 病死⇒A闘病期間1月以内B闘病期間1年
前後C闘病期間5年前後
② 老衰死⇒AピンピンコロリB不健康長生
き(車椅子使用など)後のコロリ
③ 事故・災害死⇒A即死B障害者になった
後に死亡

85歳になるAさんとBさんという二人の知人が
いる。Aさんは車いす生活だが、ホテルのよ
な老人介護施設で、「ありがとう」が口癖の
幸せな老後を送っている。

Bさんは、6畳ひと間のアパートで杖をつきなが
ら不自由な生活を強いられて3年、「死にたい」
が口癖の毎日を送っている。かなりのお金が通帳
には残っているのに。

これは単なる偶然の仕業なのか、生き様の結果
としての必然なのか。はた目には分かりずらいが、
私にはその違いの理由がよく分かっている。

つまり、死を意識し、危機意識を持ち続け、感謝
感謝の毎日を送っている人はかなりの高い確率で
幸せな老後を送れ、安らかな死への旅立ちが出来
るのだ。だから、今はBさんに私の考え方を
伝え、Bさんが幸せになれるようにお手伝いを
している。

上に書いた7通りの死に方全てに対応できるよう
に真摯に生きてこそ、本当に幸せな人生を全うで
きると確信している。

死を考え、死への準備をし、そしてそれを語る
ことは、決して暗いことではない。むしろ、
ワクワクする楽しいことだと思っている。
死は誰にも平等にやってくるゴールなのだ。

もし、死が暗いものなら、生まれてくる事にすら
意味がなくなってしまうではないか。残された死
までの時間を大切にしながら、世のため人のため
にこの命を捧げたい。

だから、「やったー」と言いながら死ねる人生で
ありたい。私の葬式には、喪服でなく晴れ着を着
てやってきて欲しい。お経でなく、バンドが
「双頭の鷲の下に」を奏でて欲しい。「惜しい人
をなくした」なんて弔辞は止めて欲しい。

「高木はよい人生を全うした」とみんなでお祝い
して欲しい。そんな死でありたい。

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