横浜には、行きつけの夜の店が何軒かあった。
そんな夜の世界で店を6軒持っているオーナーが
他界した。享年65歳、早い旅立ちだった。
彼の口癖は、「百歳までは生きる」
だから、本人は死ぬなんて思ってもいなかった
らしく、死の準備はしていなかった。それが、
突然自分の店のフロアーで倒れ、そのまま亡く
なってしまったのだ。
奥さんとお妾さんがいて、そのどちらとも不仲
だった。40になる男の子がいたが、親の仕事
には関わっていなかった。だから、突然の死は、
そのまま後継者なしで店の崩壊につながった。
まだ亡くなってひと月、複雑な権利関係を誰が
整理するのかも決まっていない。
25年前、50歳で最初の遺言状を書いた私から
すれば、なんてだらしのない生き方なんだと
呆れてしまうが、世の中では私の方が珍しい
存在らしい。
高校生の頃から、死を意識して生きてきた。
4歳の時から僧籍を持つ祖父の影響で、お経を
唱えていた。だから、常に無の世界観の中で
生きてきた。
「無」という考え方は実に素晴らしい世界で、
教え子たちには機会があるごとにそのことを
伝えている。「死や危機は突然やってくる。
それが無の原点なのだ。普段から、そのつもりで
今を生きよう」と。
だから、コロナ騒動の中でも、危機へのかなりの
準備が出来ていた私の教え子たちは、倒産の危機
には瀕していないようだ。
50過ぎたら、「家賃縮小、返済繰上、人件費削減」
を目指した経営を勧めている。そうしておけば、
今回のような突発的コロナ恐慌にも耐えられるのだ。
レバリッジを利かせる手法は50前に卒業しよう。