被災という名の試練

米軍人相手に高級マンションを貸している。
その貸している部屋が台風15号で被災した。
上階に雨水が入り、下の階にある私の部屋
の天井を落としてしまったのだ。

幸い外人に怪我はなかったが、すぐにお詫び
に行った。その外人の開口一番が、
「日本は災害が多すぎる」だった。
「確かに」と思いながらも、悲しくなった。
令和も災害列島「日本」で、始まった。

昨日は刺身が食べたくなって三浦海岸へ行った。
その店の知り合いの女将が暗い顔をして、
「台風の15号で、店が3軒も被災して、
もう心が折れて、生きるのが辛い」と言う。
今回、初めて被災者の気持ちが分かったと
しみじみと語る女将に返す言葉もなかった。

私の自宅もサンルームの屋根を飛ばされて、
その夜は「母屋は大丈夫か」と一睡も出来な
かった。だから、女将の言葉の重さが良く
分かるのだ。

大学受験で、私は受験の辛さも経験した。
被災であれ受験であれ、自分が同じような
経験をしないと人の辛さが分からない。

辛い目に遭ってきたから、子供にはこんな辛い
想いをさせたくないと思う。その優しさのために
今日の辛さを生かしていくしかない。

優しさの欠如した傲慢な人には、それなりの
辛い経験が必要だとも言える。辛い目に遭った
人たちへ、思いやりを以て接することが
出来るそんな人になりたい。

だから、その意味で、試練は神の贈り物
としてその試練を糧にすればいいのだ。
耐えられないような過酷な試練もある
だろうが・・・

 

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