75歳の誕生日までは「加齢」とは無縁
だった。同窓会でも、友人たちの病気の
愚痴を他人事のように聞いていた。
ところが、75歳になってからの4か月間
で己の体が予想以上にボロボロになり、
慌てふためいている。
先ず、7月に、心不全で入院を宣告
された。肺に水がたっぷりと溜まり、
利尿剤では間に合わないという。
「絶対に入院は嫌だ」と駄々をこねて、
40mgの強力な利尿剤を2週間飲んで、
何とか危機を脱した。
肺に水が溜まると足が強烈にむくんで、
「死の直前の母の足」を思い出し、悲しく
なった。己にも死が近づいているという
感じすらしてしまった。
次に、歯が一気に崩れ落ちた。
5月の誕生日が過ぎて6月、
先ず左下のブリッジを支えていた
2本の歯が折れた(経年劣化)
つまり、3本が使えなくなった.
(本当は使えたのだが、通っていた歯医者が
抜いてしまった)
そして、9月。今度は右下の歯が同様に
2本折れた。今度は歯医者を変えて、
抜かないことで有名な歯医者に行った。
なんとか折れた歯で支えることで
入れ歯を免れた。更に左下もやり方を
変えてインプラントを免れた。
説明が明快な素晴らしい先生に
出会えたことを神に感謝した。
ただ、9月からの1ヶ月間は、歯痛との闘い
だった。折れたことで咬み合わせが悪く
なり、下の歯のあちこちが痛くなり、
生きるのが辛かった。
矢継ぎ早に病に襲われたこともあって、
「もうどうでもいいや」という感情が湧き、
何となく体から力が抜けた。
それを救ってくれたのが、介護経験だった。
死ぬまでの道のりは沢山の病気との戦いで
あることを介護から学んでいたので、
「これしきで負けてたまるか」という
感情が湧きだしてきた。
歩くことすらできなくなった妻が、
毎朝「ありがとう」と話しかけてくる
その明るい笑顔に驚かされていた。
それを考えたら、へこたれている訳には
いかない。
寝込んで10年なのに、愚痴一つ言わず、
笑顔でお礼を言う。この妻の偉大さに比
べたら、たった1ヶ月の歯痛で気力を
失うなんてなんと罰当たりなことか。
車を運転し、自由に歩き回れ
るだけでも神に感謝しなければ
いけないのに・・・