貸しビル業者になって40年。
結果的にはテナント誘致には成功してきた。
しかし、誘致の結果を出すまでの裏の努力は
半端ではなく、工夫と汗と忍耐の連続だった。
他人は「まだ決まらないんですか?」と
半分面白がり、「気の毒に」とうすら笑う。
だから、誰にでも出来る楽な仕事ではなく、
嘲笑に耐える豪気の塊でなくてはならない。
貸しビル業で成功するには一物件への
投資を自己資産の5分の一以下にすべきだ。
そうすれば、どう転んでも失敗はしない。
つまり、4億投資する人は2billionを
持っていなければならない。そんな人なら、
テナントが決まらない間は体育館付きの
自己屋敷にしておく気持ちでいればいい。
いざとなったらそんな精神力も欠かせない。
幸運にもそんなことなく40年間満室で
生きてきた。貸しビル業はリスクを伴う
仕事ではあるが、投資適格者なら街のために
どんどんビルを建て、街に活気を呼び込むべ
きだ。少子化時代はそんな人間を必要として
いるのだ。
故郷のために「三浦半島創生の会」を興し、
横須賀の発展を画策し、多くの仲間と日夜会
議を開いている。箱モノをつくる社会貢献は
大きなリスクを伴うが、人生の残り時間に
不安を感じながらも猪突猛進している。