教え子が訊く、
「先生は最近、何で外国へ行かないの?」
お金なんか貯めてもしょうがないでしょう
と言いたげな顔をしながら。
私も20代には世界中を遊びまわった。
日本にいるより外国にいる時間が長かった。
おまけに、日本でも毎晩のように遊びまわった。
だから、彼が旅行しまくる訳がよく理解できる。
成功して金があるのだから、
世界を旅して見聞を広める方がいい。
彼がタックスヘイブンに夢中なのにも文句はない。
その気持ちは十分に理解できる。
こうして、私が彼の行動を理解出来ても、
彼にはまだ私の今の行動原理が理解できない。
彼がまだ、私の年齢まで歩いてきていないから、
己の先にある人生が分からないのが当然だ。
だから、私が忙しいから海外に行かない
なんて誤解している彼を不愉快には思わない。
老若が無理に同一行動嗜好を持つというのは、
実にナンセンスだし、難しいことでもある。
ただ、ここでお互いにとって大切なことは
双方がお互いの行動動機を理解することだ。
今の私は、友と語り合い、素敵な景色を見、
好きな花に囲まれ、美食漫遊を愉しみ、
若人に伝えるべきことをブログに綴る。
そんなささやかなことが楽しいのだ。
元気が残り10年くらいになった私には、
若者とは全く次元の違う人生の楽しみ方がある。
見慣れた外国にはあまり興味が湧かないのだ。
こんな年寄りの行動原理があることを
もし教え子の彼が理解してくれたら、
更に深い会話が成立するような気がする。
老若にお互いの行動嗜好の一致は必要なく、
相手を理解できればそれでいいのだ。
The young are different from the elderly in an action.
But if both of them can understand each other better,
they can make more comfortable relationship