「いい人に囲まれて生きていきたい」
誰もが願うことだが、これが意外と難しい。
いい人か悪い人かをどうやって見抜くか。
この基本的なことが本からは学べないからだ。
前にも書いたが、
人一倍可愛がった社員に裏切られたり、
気が合う社員に使い込みをされたり、
善人だと思っていたら反社勢力の人だったり、
美しい人だと近づいたら猛毒を持っていたり、
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そんな多くの失敗を通して、
やっと最近は人で失敗することが減った。
減ったのであって、無くなったのではない。
それほど世の中は甘くない。
だから、若い人たちには
「嫌な人に会うのも神の配剤だ」と教えている。
嫌な人、悪魔的な人に遭って、
初めていい人との違いを学べるのだ。
ある教え子が子育ての相談に見えた。
「担任がダメな先生で娘が不登校ぎみ」
そこで私はこう切り出した。
娘さんにこう言って下さい。
「社会に出て自分に合う人とだけ生きるのは
不可能。だから、今から気に食わない人と
どう折り合いをつけるか練習しているんだよ」
つまり、その先生は神様から送られてきた
絶好の練習台だとと言ってくれと親に伝えた。
娘さんがこの考え方を受け入れるか不安だったが、
後日お母様からお礼の電話があり、
「娘が理解してくれて、学校へ行きだした」と。
50歳で、天命を知る頃までに
多くの嫌な奴に会っておけば、
その後は、天命を全うしやすいように
いい人だらけの天国で暮らせる。
We can learn history from a book.
But we can’t learn
human type discriminating method from a book.
So, if we want to learn it,
we have to meet many kinds of persons.