一度は使いたい夢のような言葉がある。
昔、中学受験発表後に報告に来た母親曰く、
「栄光、麻布、慶応のどこにしようかしら」
全部受かって迷っているという贅沢な話しだ。
「凄いですね、一度は言ってみたい言葉です」と、
羨ましそうに応じるのがベスト。
真剣にどこがいいなどと答えるのは愚の骨頂。
ただ、人生というのは面白いもので、
その言葉を聞いてから15年して
道でばったり出会った本人と話すと、
大した人生を歩んでいない感じ。
神様は結構慈悲深いところがある。
昨日もとんでもないスケールの言葉を聞いた。
「毎日、家賃が百万円入ってくるんです」
御主人に先立たれてから始めた賃貸業が、
30年間で拡大、また拡大したという未亡人。
従業員を雇わず、優雅な一人社長の大会社。
大成功が故に口から出る言葉はいたって自然。
決して自慢や嫌味とは思えない。
次に出た言葉がまた最高に格好がいい。
「そごうが冷蔵庫なので、買い置きはしないの」
家は横浜駅から徒歩5分、傘は不要の億ション。
更に夢のような言葉が続く・・・
「夏のMMの花火がベランダの目の前なのよ」
それでなくても真正面にベイブリッジが見え、
オーシャンビューに映える夜景は百万ドル。
世界一のヒューチャリスティックな光景だ。
「羨ましい」を通り越して、夢のまた夢の世界。
ただ、最後の言葉でおやっと思った。
「車はフェラーリとランボルギーニの2台」
主に息子が乗っているという車の名前を聞き、
「息子さんはあまり知的な人ではないな」と。
2台とも成金の○○息子が好みそうな車だから。
神様は結構慈悲深いなとまたまた安堵。
でも、豪華な言葉の使える人生は素敵。
しょぼい話よりは明るいし参考にもなる。
I don’t dislike the person
that often boasts of himself or herself.
Because big talk is full
of many useful idears.
But I am always careful
not to boast of myself.
By the way, the elderly must be
careful not to fall down.