比較の基準

年齢差9歳、小学生の私は高校生の兄の勉強時間に驚いていた。
私が1時間なら、兄は5時間以上机に向かう努力家だった。
それから10年、「4当5落」という言葉を知った。
高木家では一日の勉強時間の基準は5時間だった。
私は兄と比較して、「自分は怠け者だ」という烙印を押していた。
高校時代、私の一日の勉強時間は2時間が精一杯だったから。
普通の基準に照らし合わせたら、怠け者ではないだろうが・・・
大人になって、自分が「仕事好き人間」であることに気付いた。
そして自分の周りの人たちを自分の基準に照らし合わせて、
「享楽型の人間が多い、これなら勝てる」と思うことがよくあった。
30代の私の仕事時間の基準は、「飯、風呂、トイレ以外全て」だった。
「世の中は甘くない、本当の仕事はアフター5からだ」などと吹聴した。
そんな基準で語るから、私を疎ましく思う人が多いような気がした。
多くに於いて、自分の基準は異常だと思うことさえあった。
そんな自分に気付いてから、他人に多くを求めることをしなくなった。
更に、説得して自分の意見に従わせるなんて大変な行動も取らなくなった。
自分の基準で他人に求めていたら、ストレスで早死にするような気がした。
Pマンションの役を降りたのもそんな基準の違いからだった。
学生時代は南平台、松涛、飯倉でマンション生活を楽しんだ。
そんな私が求めるマンション管理は基準が高かった。
それを説得すること自体が無理だと分かり、「身を引く道」を選んだ。
こうして説得するという努力を止めてもう25年は経つだろうか。
自分の基準世界に閉じこもることでストレスを避けるコツを覚えた。
ガーデニングで過ごす時間が多いのもそんなことに起因する。
仕事でも、「説得を要する人」より「説得しなくて済む人」がいい。
分かってもらうためにイラつくよりは、その方がずっと楽なのだ。
私の基準では、老人だけの集まりは「老化促進薬」以外の何物でもない。
頑固で回顧主義の老人ほど基準が低くて疲れる存在はない。
最近凄い男に出会った、彼は43歳。不動産的才能は群を抜く。
「仕事が飯より好きだ」と豪語するツワモノで、話が実に楽しい。
エネルギッシュで柔軟な若さの刺激は最高のアンチエイジング薬だ。
これは価値観という問題ではなく、生き方の問題なのだろう。
彼は仕事も好きだが、芸術的なこと、文学的なことも大好きなのだ。
美術館にも行くし、音楽会にも足繁く通い、本もよく読む。
彼のような比較基準値が自分に近い人と過ごす時間が心地よい。
出来れば死ぬまで、刺激的で高い基準の世界で生きていきたい。

麻布十番のラミエラ:次にオープンする店舗のデザインにヒントが欲しくて、麻布十番へ。期待通り参考になる店が多い。お腹が空いてふらっと入ってしまったのがこのレストラン、食事は「りゅうの介」でする予定だったのに。9月にオープンしたばかりだというが、中々の味。

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