運(1)

不運は運ばれてくることが多い。
でも、逆に運んでこれる幸運もある。
問題はその割合で、これは生き方で変えられると確信している。
幸運と不運の割合が8:2の人もいれば、その反対の人もいる。
例えば、病気という不運はその多くが運ばれてくる。
拒んでも、拒んでも、勝手にむこうからやってくる。
しかし、生活の仕方や心の持ち方で逃れられる病もある。
そう、あの生活習慣病などがそれに当る。
ガンだってストレスの少ない生活を心がければその半分以上が逃れられる。
しかし、非の打ち所のない生活をしていても襲ってくる病気はあるだろう。
だから、そんな病気にかかった人は不運そのもので、その不公平を嘆く。
でもそれを言えば、頭脳、金、容姿、性力・・・この世は不公平な事ばかりだ。
誰にだって嘆こうと思えば一生嘆きたいことがあるのが普通だ。
だから、自分に与えられた枠の中で精一杯生きるしかない。
その中に感謝の種を撒き、それを幸せと感じるしかない。
それなのに無理をして、その境遇から逃れることを焦ったりすれば、
更なる不運に襲われる、そう、徹夜をしまくれば病気になる。
金を借りて派手にやりすぎれば倒産するのが関の山。
気もそぞろなら交通事故にも遭遇しそうだ。
だから、今の境遇が悪ければ、焦らず改善するしかない。
「俺の運が悪いのは住んでいた家のせいだ」という男に会った。
彼は「占い」とか「祟り」とかをよく口にするタイプの人だった。
でも、彼と話していて、不運は家の祟りではないような気がした。
不運は彼の考え方から運ばれてきているように思えた。
一緒に過ごした3時間、5つの話題で、彼は他人を褒めることをしなかった。
呪われた家を売ったから、もう大丈夫だと思っているようだったが、
他人を褒めず、自己弁護に走り、他人の意見に耳を貸さない今のままでは、
家を売っても彼の運気は開けないような思えて気が重かった。
才能があるのだから、ちょっと生き方を変えればと惜しい気がしている。
この街に、3年前、3億円の宝くじに当った人がいる。
よく知っている人で、これこそは強運だと誰もが羨んだ。
そのとき、彼の性格を知っている私はそうは思わなかった。
「あんな金、すぐになくなるさ」と思っていた。
店をやっていた彼は、店を閉めて1年間「おっパブ」に入り浸った。
それに飽きてから、1億円かけて新しい店を作った。
優秀なスタッフも雇い入れたが経営は上手くはいかなかった。
そして、残りの1億円がその店の運転資金に消えた。
慌ててその店を売りに出したが、売れなかった。
そして、負債が残った、あっけなかった。
彼は神から運ばれた運を自分でこぼした。
何度も書いていることだが、もし運をよくしたかったら、
運のいい人からその運び方を学び取るのが一番手っ取り早い。
でも、運の悪い人は運の悪い人同士で群れている。
それでは、開運の種の在り処もその育て方も学べない。

原宿の光麺:「あそこのラーメンは油が濃いから年寄りは下痢をする」
そう聞いていたのにその店に入った。冷やし坦々麺を食べて5時間後、
やっぱり下痢をした。
味は最高だったが、年寄りであることが分かってがっかりした。

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