死に際(1)

実業家だったら、死の床で己の人生とその事業の総括をする筈だ。
「よくやったな、俺は」と誰もがその成功に酔って旅立ちたいと願う。
ところが、「この人の場合はどちらか」と判断しかねる男がいた。
彼は債務超過ではあったが、金をたっぷり持ってあの世に旅立った。
彼が満足して死んでいけたのか、それとも後悔しながら死んだのか。
お節介な他人の推測だが、その判定が実に難しい。
建売で財を成した彼は、晩年は不動産業をやめ、居酒屋を7軒持った。
子供はなく、甥っ子を養子にして、その店を任せた。
居酒屋7軒という話を聞くと、私はすぐに考える、
「毎晩借金のことで寝られないような日々だったんだろうな」と。
絶対に「羨ましい」とか「儲かるだろうな」などとは考えない。
※ダイニング「若」のブログを思い出していただきたい。
このような店というのは、何軒あっても実質的には資産価値がゼロ。
一般的には借金で開店をしている人がほとんどだから、その負債は莫大だ。
つまり、上手くまわっている間は「大社長」だが、
食中毒でもだそうものなら夜逃げするしかないような世界だ。
76歳を過ぎて、彼は急に衰えた。
人の手を借りなければ歩行が困難で、何度か入院も繰り返した。
致命的な病はなかったが、82という年なのに老衰で他界した。
彼を看取ったのは、彼が雇った5歳年下のお手伝いさん。
彼女は「守秘義務」を果たさない人で、街で彼の話を吹聴した。
金の出し入れは彼女の仕事だったので、通帳の残高を知っていた。
「6千万もあるんだからもっと給料を出して欲しい」と洩らしたりもした。
旅立つ頃は、外出もままならず6千万を使い果たす機会を失っていた。
だから死んだときにも、通帳には5千万近い残金があったらしい。
ところが、いつもの小料理屋でこのお手伝いさんが喋る、
「死んだとき、会社の借金が4億もあってね」
「そんなに?」と皆が膝を乗り出す。
「それがね、彼が死んで3ヵ月後に継いだ甥も亡くなったのよ」
「店を継いだ甥も大変だったんだね」と皆が言う。
この話を友人にしたら、そんなことは珍しくないと言う。
「銀行の金でも、死ぬときに金で苦労しなかったんだから幸せだよ」
そういう彼の横顔を見ながら、複雑な気分になった。
そう言えば、ダイエーの創始者中内氏も死んだときは債務超過だった。
それでも、彼が生活に困ったという話は聞かない。
「俺が子供なら、こんな借金を残していく親は嫌だなー」と思う。
自営業者は晩年に借金を増やしてはいけないと思っている。
でないと、後を継ぐ者が可哀想だから。
それに、「相続税対策で借金をする」という考え方はもう古い。
これからの賢者は、還暦前後から資産作りを止め、
個人資産を同族会社に売り払ってしまえばいい。
最後まで頑張ると、間違えて債務超過のバカ親で死ぬことになるから。
こうして、死ぬときには個人資産がゼロになればいい。
そうすれば、当然相続税もゼロになるから。
そうして生まれた豊富なキャッシュフローで己の余生を楽しもう。
死に際は、お世話になった同族会社を太らせて「さよなら」だ。
人は短命だが、同族会社の命は永遠であるから。
もちろん、太らせる前に株の名義を変えておくのを忘れないように。

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