マンションは大地震でも大丈夫なのか?
今の日本で、これほど大きなテーマもないだろう。
しかし、この「大丈夫」という語の定義の曖昧さが、
この問題の答えを難しくしている。
先ず、「大丈夫」の解釈を二つに分ける必要がある。
多くの人は、「生死」の問題と考えているだろう。
その点では、答えははっきりしている。
新耐震基準マンションならその倒壊で死ぬ確率は低い。
よって、答えは「大地震でもほぼ大丈夫」。
だから、そんな新耐震基準の校舎の防災訓練で、
防災づきんをかぶって机の下にもぐっている光景は
余りの馬鹿馬鹿しさに開いた口がふさがらない。
なぜ国はこんなことを止めさせないのだろうか。
さて、問題なのはもう一つの解釈だ。
「その建物に住み続けられるか」というとらえ方。
この回答は、「無理」と「ほぼ住み続けられる」と
「補修工事を必要とする」の三つに分ける必要がある。
さて、ここでもう一つの定義問題が出てくる。
日本建築学界の判定基準と罹災証明書の判定基準の違いだ。
東北大震災では、建築学会の判定基準で倒壊ゼロ棟でも、
被災者生活再建支援法に基づく罹災証明では全壊100棟となる。
倒壊と全壊って同じような意味だと思っていたが・・・
これを地震用語として解釈すると、建築学会の判定では、
「ドアが開かない」は「住み続けられる損壊」というのだが、
生活支援の面から言えば、これでは生活が難しいから
いきなり全壊判定になってしまうという訳だ。
これは笑い事ではない。
要するに、震度7クラスの地震の後、
その被害状況のニュースを流すマスコミが、
どちらの数字を流すかで、国民感情が大きく左右される。
強いて言えば、国際的な日本の信用にまで影響が出る。
この二つの日本語を英語に訳せば、同じイメージだろうから。
これは、私のような不動産投資家にとっても死活問題だ。
東日本大震災の後、最初は建築学会の数字が流された。
当然、日本中の人が「今のマンションは安全だ」と思った。
マンション業界の人や不動産投資家もほっとした。
しかし、後からNHKが「全壊100棟」と言い出した。
途端に、「マンションはやばい」という人が増えた。
この発表の違いをどう考えたらいいのだろうか。
(続く)
追記:仙台市でも、実際にこの二つの違いを知らないで、
罹災証明申請をしなかったマンションが多数あったという。
もう罹災証明の受付はとっくに締め切られてしまっている。
この罹災証明がなければ修理の補助金も貰えない。
ここにも、無知は大損という実態がある。
マンションの理事長を引き受けてたら、
こんな無知で住民に不必要な苦痛を与えてはならない。