同郷・同世代の社長たち?

年商の多寡でその経営者の器を語るのはあまり適切ではない。
借入を増やし、規模を拡大すれば年商など簡単に増やせるから。
経験的には、純資産高の方が器を測る数字には適している。
事業の急速な展開にはどうしても銀行借入は欠かせない。
私も急成長期には銀行からかなりの金を借り、教室を増やしていった。
だが、5年でこうした規模の拡大が己の幸せに反比例していることに気付いた。
更に、世間の見る目とは裏腹に、自分の財産が増えている気もしなかった。
純資産が確実にプラスになったと思えたのは、長岡塾を売ったとき。
売った代金でかなりの借金を返済したときの安堵感は今でも忘れられない。
「あー、これで死なずに済んだ」と心底ほっとした。
拡大する⇒借入の返済原資となる収入が増える⇒銀行が金を借りろと誘惑する。
つまり、事業が発展しても借入が増えるから純資産は増えない仕組みになっていた。
資産なんて死んだときの生命保険だけだと銀行を恨めしく思うこともあった。
もし2〜3人の室長の反乱が起きたら、負債何十億の倒産になるという恐怖の毎日。
そして、「夜逃げ⇒首吊り⇒生命保険が家族に入る⇒一巻の終わり」
こんな図式がいつも頭に渦巻いていた。
これを脱却するには、何が何でも純資産をプラスにするしかない。
つまり、「世間的に大きい会社だ」などと言われる夢など捨てて、
資産形成を組み立て直すしかないが、これが実に難しい、世間体があるから。
だから、私の中で世間体を無視したワットマンの清水氏への評価が高いのだ。
逆に言えば、急成長している会社やその経営者など全く羨ましくない。
かえって、可哀想なくらいに思っている。
私の同郷・同世代で真に優雅な経営者はほとんどが名の知れない人たち。
商工会議所の会頭候補にもならない人たちだが、彼らは実にリッチだ。
恐らく、名声を望まず、純資産中心の生き方を選んだ結果だろう。

カシータ麻布十番

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