「いらっしゃいませ」というのは客商売の常套句だが
こんな言葉は絶対に使わないという店主がいる。
彼はこのご時勢に店内の生花を毎週1回は替えている。
要するに繁盛店のオーナーなのだ。
店に入ると彼は言う。
「ちょうど考えていたんですよ、高木さんのことを」
もちろん嘘なのだが、それが彼のお迎えの挨拶だ。
「お待ちしていました」とか「噂していました」とも言う。
彼曰く、次の言葉につながるようにしているのだと。
言葉は必ずキャッチボールにしなければならない。
どちらかが一方的にしゃべるのほどつまらないものはない。
来店の瞬間から彼の接客は始まっているのだ。
「でも・・・」から入る人が多いこの世で
彼は反対に相槌のうまさで光っている。
ざっと挙げても十以上は使っている。
「そうなんですか」「すごいですねー」「本当、その通りですね」
「もっと詳しく教えてください」「流石ですね」「へー、驚き」
「勉強になるなー、その話」「もう一度話して、メモするから」
「本当?立派ですね」「やっぱりね」「そう、そう、その通りですよ」
そしてまたこんな技も使う。
「我々仲間内では十人中九人は高木さんのファンですよ」と。
「十人中十人」ではないのだ。
そう、ちょっと気になる話し方で人の気を引くのだ。
「その残りの一人は誰なの」と思わせるのが憎い。
相手をぐいぐいと引き込んでいく会話術。
人の世で成功する人はいろいろと努力している。
「他人を批評する暇はない、自分を磨くので忙しい」と彼はよく言う。
客からは見えないカウンターの後ろに
いろいろと役に立つ言葉が書き込んである。
この店主には本当に頭が下がる。