自動運転

昨年の10月、
トヨタが天下の公道、首都高速道路で自動運転を実演してしまった。
自動運転とは、ハンドルから手を放し車に運転を任せることで,
我が日本国ではまだ公道走行を許可されていない技術。
だから、国土交通省や警察から厳重注意を受けたのは言うまでもない。
(自動走行=インテリジェントドライブ)

ところが、私の乗っているドイツ車は既にこの技術を搭載している。
要するに高速道路なら「手放し」でかってに車が運転してくれるのだ。
これは実に不思議な感覚で、本当は怖くて手を離せないのが実情だ。

前車に近づけば設定された距離を保ちながら追走状態にもなるから、
自らブレーキを踏む必要もなく、前車がどけばまたスピードを上げる。
ところが、ドイツと日本では、設定された道路の諸条件が違うらしく、
たまに何かの勘違いで行きたくもない方向へ車が向かっていく。
だから、実際にはハンドルに軽く手を添えているのだが、
昔のようにハンドルを「握る」という習慣は薄れていく。

そして、たまに友人の車を運転するとその違いに驚く自分に驚く。
当たり前にハンドルを握ることがいかに疲れることかを知ったのだ。
「手を添える」だけと「握る」ことの違いはことのほか大きいのだ。

そして、前車に近づいてブレーキを踏むことも意外と疲れる。
既にブレーキを踏む習慣が薄れてしまっている自分には、
いちいちブレーキを踏むことがかなりのストレスになっているのだ。

今日もニュースが伝えていた。
ハイブリッド車のエンジン音が静か過ぎて、
坂などで、エンジンがかかっていない状態なのに、
エンジンをかけたつもりで車を走らせてしまって、
結果、ハンドルやブレーキが利かずに事故を起こす人が急増しているとか。

狭い道路で、車が近づいていることに気づかず怖い思いをする事が多い。
車の騒音を減らすことを追求してきた時代には想像も出来なかっただろうが、
意外にも、車にはある程度の音が必要なのだ。

兎にも角にも、最近は技術革新がめざましく、
その潮流をキャッチアップしていくことの大変さを痛感している。
人間の感覚が技術革新のスピードについていけないのだ。

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