今が栄光の人に

行きつけの小料理屋で注文した鯛茶漬けを啜ろうと箸を手にしたとき、
ガラリのドアが開いて、妙齢な鶴が舞い降りてきた。
ちょうどその日はかつて名を馳せたドンファンもカウンターに。
錦野あきらと同い年というこの男の目に野生が戻ったのを感じた。
「この席が空いているよ、どうぞ」と鶴に声をかける。
「すみません、いいですか」と鶴が素直に席に着く。
そして、何度も聞いた彼の武勇伝が始まった。
過去の栄光を誇らしげに話す彼の横顔は喜色満面。
「凄い」「凄い」と応える鶴の言葉に彼自身が舞い上がる。
10年も通い続けた店だから大概の客の素性は知っている。
そしてどの客も判で押したように似たりよったりの自慢話をする。
しかし、初めてその武勇伝を聞いた鶴にはかなり新鮮な話に思えたようだ。
「またいつもの自慢話か」と耳をオリンピックのテレビ中継の方に。
「俺は間違ってもこんな老人にはならないぞ」と心中に誓う。
そこへまた五十路を過ぎたかつてのジゴロが引き戸を開けてご入場。
運悪くこの鶴の隣が空席で、二人が鶴を挟むように座ってしまった。
すると、この鶴はドンファンに背を向けジゴロと話し始めた。
というよりは、完全にバター臭いジゴロの方を向きドンファンを無視。
あの30分の野生の努力は水泡に帰したようだ。
心配になってドンファンの顔を覗くともう既に顔面蒼白、指はブルブル。
マスターも心配顔だが、どうすることも出来ない様子。
「殴り合いが始まらなければいいが」と心配になる。
こんなのに巻き込まれたら嫌だと、「ご馳走さま」と腰を浮かせる私に、
「まだいいじゃないですか」とマスターの哀願する声。
「明日が早いから」とその声を無視して店を出た。
人間、年老いるとどうしてああなるのだろうか。
夜の街での人間観察を通して、己の生き方を考えた。
「過去の栄光にすがるような生き方はしたくない」
そう、常に「今が栄光の時である」ように生きたい。
洗車場ビジネスにも不況の波が?

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