頓珍漢(1)

功成り名遂げ、勲章なるものを頂いた人を何人か知っている。
そんな人たちの言動的な特徴は、
「謙虚なく傲慢に物を言い切る」ことだということに気づいた。

それは具体的には、「訓示」とか「説教」などという形になって表れる。
ほとんどの場合、訓示や説教の好きな人間は思い上がっている。
だから、自説の可笑しさ、論理的欠陥に全く気づいていない。
正に正真正銘の老害である。

アンパンマンの生みの親、やなせたかし氏の死の直前を例にとってみる。
「原発事故に防護服を着て立ち向かっている人々こそ正義なのです」
彼のこの意見には大多数の人がついつい頷いてしまう筈だ。
彼は更に思い上がって言い続ける。
「事故を起こした東電、監督できなかった政治家、官僚に正義はない」と。
本当に彼ら全てが正義という大義名分の下で行動していたのだろうか。

彼には多くの事故処理作業員を現地に送り込んでいる組織の実態や、
送り込まれた人々の悲しい動機などには考えも及んでいないのではないか。
防護服を着て立ち向かっている人と立ち向かわざるを得ない人たち。
この二つの区別すらつかない己の頓珍漢に気づかない傲慢。

が,これこそが、功成り名遂げた頓珍漢な人たちの典型的な姿なのだ。
よく言う「自分の匂いには気づかない」と同じで、
「国民的童話作家の俺様は偉いから俺の言うことは正しいんだ」
という臭みに94で亡くなる前の10年間、彼自身が気づいていなかった。

年を重ね、それなりに社会的地位が上がってくると、
多くの人がこの頓珍漢をやりたくなる衝動を抑えられない。
古希を過ぎて一番気をつけるべきは、この点であるような気がする。

「おー、くわばら、くわばら」
Don’t boast in public ! Don’t preach in public !

よく散歩する葉山の国際村

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