1円考

数年前、文庫にあった文具店での出来事。
レジでのお会計が901円だった。
良く知る店長さんに千円を渡して、私は可愛くお願いした。
「1円おまけして、ポッケが小銭だらけになるから」

店長の答えはノー。
私は釣りの小銭を受け取って、
「もう二度と来ないから」と呟いて、立ち去った。

港南台のドンキホーテではレジの横に1円玉がゴッソリと置かれていて、
先ほどのようなときにお客が自由にその1円玉を使えるようにしている。
そんなドンキホーテが急成長し、
偶然だが、最近私のビルのテナントにもなっている。

一方、この文具店は最近閉店し、
店長だったあの息子は勤めに出た。
「やっぱりね」とあの出来事を思い出して、
「人の気持ちが分からない人間に商売は無理だ」と
一人合点してしまった。

もっと不思議なことに、その後、この店長の親が困窮して、
彼が持っていた不動産を売りに出したのを買ったのが何とこの私だったのだ。
めぐり合わせとは摩訶不思議である。

「1円を笑うものは1円に泣く」という。
しかし、「1円にこだわるものは1億を失う」とも言う。
70年も生きるとこの1億の意味がよく分かる。
1円に泣くか1億を失うか、どちらを取るか答えは明白だ。

一日24時間、細かいことを考えている時間が多ければ
必然的に大きなことを考える時間が減るのが道理。
だから、1円つまり細かいことにこだわる者は
その代償に何か大きなものを失うのだ。

何かを立て替えたとき、いくらなら請求するか。
このことは、この1円事件に通じる結構大きなテーマだ。
もちろん、人によってその額は異なるだろう。
ただ、平均的には数百円から千円以下ではないだろうか。
親しい間だったり、お世話になった人になら千円単位でも請求しない。

例えば、印紙の持ち合わせがなく印紙をお借りすることがある。
そんな時には勿論後から忘れずに200円とか500円をお返しする。
それなのに、こちらが返す前にそれを請求する小物もいる。
自分が貸したら、相手が忘れていても絶対に請求などしない額だ。
もちろん返すことを忘れるべきではないが・・・

ましてや、自分のミスで貰い忘れたお金なら絶対に頂けない額だ。
そのくらい鷹揚でないと良い人間関係は築けないし、
大きな成功も望めない。

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