70年の人生を振り返ってみると、
腹の立った出来事やむかついた人のことはほとんど忘れてしまっている。
最近、その忘れてしまうという記憶の原理が分かってきたのだ。
そして、その原理を応用して人生をばら色にする術を身につけた。
30年近く前に殺したいほど憎んだ奴がいた。
しかし、今ではその人の名前すら思い出せない。
そういえば、その男を思い出すきっかけとなるものを全て捨ててしまったことに気づいた。。
だから、いつの間にか彼のことが記憶から遠ざかり、名前まで忘れてしまったのだ。
反対に、楽しかったことやうまくいったことはかなり記憶に残っている。
そして、その中には関連したものが形として残っているものが多い。
学生時代の忘れられない日本一周無銭旅行の思い出。
この旅行は一緒に行った3人の友達を今でも太い絆で結んでいて、
50年経った今でも彼らとの定期的なお茶会が続いている。
いい思い出が友人という形で目に見える存在として残っている。
学生時代に新橋で起業したときの思い出。
その時に貯めたお金の一部で建てた家が今でも残っていて、
仕事を終えて夜遅く飯倉のマンションへ帰ったときの懐かしい情景が
昨日のことのように思い出される。
電車の中で退屈したとき、スマホのアルバムを整理する。
何時どこで撮ったのかを思い出せないもの
役に立ちそうもない写真はどんどん消していく。
結果、残ったものはこのスマホがある限り記憶として残っていく。
嫌なことは記憶に残らないようにするため、
楽しいことやいいことは記憶に残るようにするために、
残したい思い出には知恵を使って形を添付し、
忘れたい出来事や人に関連するものは全て断捨離していく。
Pマンションの失礼千万な住民のことや、
傍若無人なドライバーとのトラブルなど
最近では、驚くほどすぐ忘れてしまうのだ。
忘れるということは「嫌なことは無い」に等しい。
周恩来の言葉 「和すれば益、争えば害」からヒントを得て
「忘れれば益、こだわれば害」と教え子たちには言っている。
勿論、この方法を知ってから、わが人生は素敵な思い出だけに包まれている。