介護の心

子供の名前も忘れた痴呆の人の看護で大切なことは何かを教わった。
「どんな間違ったことを言っても訂正しないで優しく頷くこと」だと。
更に、「イエスと答えられるように配慮して質問をすること」だとも。
例えば、食欲の細ったように思える日には、
「もっと食べないと体によくないよ」ではなく
「明日はもう少し食べられたらいいね」と言う。
不快な質問ばかりすると人間関係が崩れるのだそうだ。
そう教えてくれたその人の親はもう寝たきりで10年。
子供の名前も言えないこの人に、先日盛大なお誕生日会を催した。
米寿の88歳だというから、78歳から寝たきりなのだろう。
テレビで見るような大変な介護の現実があちこちにある一方で
考え方を変えることで、こんな微笑ましい介護も可能らしいのだ。
もちろん、特別養護老人ホームの存在なくしては語れない話なのだが・・・
痛々しい介護と老後はいろいろな形でやってくる。
先ずは面倒を見る人に、次に面倒を見てもらう側にも。
そのどちらの場面も、出来れば苦しくない方がいい。
更に、出来れば微笑ましい方がいいに決まっている。
その微笑ましい方の道を選べるとしたら、その方法を知りたい。
彼は言う、「絶対にある、用意周到に準備すれば」と。
つまり、苦しい介護は見る側、見られる側の勉強不足から来るのだと。
そして、最後は「説教しない優しさが要る」と付け加えた。
私にはまだ老後への知識が足りない。

午後の鎌倉で介護について話し合う

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