バチの当たらない生き方

私よりずっと清廉潔白に生きた知人が他界した。
50歳にも届かない若さだというのに・・・
数年に及ぶ闘病生活は痛みの連続だった。

この世では、バチが当たってはいけないような人に
まるでバチが当たったかのような不運が襲ってくる。
その理不尽たるや、神の存在を疑いたくなってしまう程だ。

西洋には、Knock on woodという魔よけのおまじないがある。
何か起きて欲しくないようなことを口にしてしまったときに、
万が一にもそのことがわが身に起こらないようにと、
そばにある木の机や壁を三回くらいたたくというおまじないだ。

彼はよくそのおまじないをしていた。
「ガンになったら苦しいんだろうな」と言っては
食卓テーブルを三回叩いていた。
なのに、ガンが彼の命を奪った。
You paid for it. とかIt serves you right.
という言葉が空しくなるような結末だ。

バチを恐れるような人は大抵心が美しい。
過去にしてきたことをあれこれと反省する人に
悪い輩などいるはずが無いから。
そう、彼らは善人だからこそ反省して思い悩むのだ。

でも、反省して思い悩むからストレスが溜まり、
そのストレスが身体を蝕んでいってしまう。
反省などせず、思い悩まなければ病気も逃げていくだろうに。
もしバチを恐れるような人に悪人はいないというなら、
バチはバチを恐れている善人に当たるということか。
そんな馬鹿な結論は受け入れたくない。

一体どうしたら、バチの当たらない善人になれるか。
今、そのことを真剣に考えている。
コーピングスキルを学んでいるのもそのためだ。


大好きな浄明寺の石釜ガーデン。
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