覚悟していても

老いについて書いた作家は数限りない。
我々の多くが知っている現代の作家からその名を挙げれば,
城山三郎、三浦朱門、曽野綾子、近藤啓太郎、岡田信子
遠藤周作、五木寛之、吉武輝子、・・・
ざっと思い出せるだけでも10人はいるだろうか。
ホンダの創始者、本田宗一郎さんは,充実した老後を求めて世界を歩いた。
そして、「究極の楽園は日本にあり」と書いた。
でも、そんな本に書いてあることを焼きなおして
このブログに書いても私らしい文にはならないので、
出来るだけそれらの本を思い出さないようにしながら書いている。
ただ、どの人の本にも共通して言えることは、
素晴らしい老後は、「心で決まる」ということ。
立派な老人ホームなどという器は大した意味もなく、
楽園には充実したソフトが欠かせないと口を揃える。
建物の豪華さやお金の量よりも、
働くとか奉仕するとか、友がいて自然があるとか
家族がいて且つ自由があるとかいう心の問題が、
老いの幸せにつながると先人たちは語っている。
もちろん、最低限のものが必要なのは言うまでもないが・・・。
サロンによく足を運んでくれたIさん。
生前の15年間、あちこちの老人ホームを回っては、
歌舞伎演目の「娘道成寺」を踊ってお年寄りたちを慰問していた。
老老介護ならぬ、老老慰問である。
80歳の老人が同い年くらいの人たちを慰問する。
何度も、楽しそうにそのときの写真を見せてくれたが、
今はもうその人もあの世へ逝ってしまった。
彼女はよく「奉仕」という言葉を口にした。
お金は入らなくとも、それ以上の何かを得ていたのだろう。
「人様のために・・・」という動機ほど素晴らしい生きがいはない。
亡くなる前の彼女の表情は飛びぬけて生き生きとしていた。
その闘病生活は僅か半年で、上手に老い、上手にガンで旅立った。
私も彼女と同じようにがん検診は受けないことにしている。
がんは神様のくれた贈り物だから、喜んで受けるつもりだ。
それで手遅れになったら、決して後悔などしないで旅立とう。
だってもう66歳だもの、十分楽しい人生だったし・・・
最近、ある友人と老いや死のことを話したのだが、その彼が私を冷やかす。
「誰にも最後は一回しかないから確信的なことは言えないが
覚悟していても、老いと死は思い通りにはやってこないよ」と。
でも、だからこそ、老い支度とその先の覚悟は十分にしておきたいのだ。

カテゴリー: 老い支度 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です