生き方を決めよう

そもそもこの「老い」とは一体何歳からなのか。
後期高齢者の75などと言う元気すぎる友もいるが、
ちょっと平均的には無理がある。
素直に考えれば、還暦あたりか又は定年退職後と定義した方がよさそうだ。
その老いに向けての支度は終わりへのカウントダウンではない。
それどころか、わくわくするスタート台作りの始まりだ。
長く、明るく、楽しい第二の人生への支度なのだ。
だからこの話は決して寂しいものではなく、
考えようでは、うきうきするテーマだ。
その証拠に、亡くなった高峰秀子と同じように、
40歳から老い支度を始めた私は老いた今が楽しくてしょうがない。
ところで、老いの支度って具体的には何だろうか。
墓を作った友もいる、遺言を書いた地主もいる。
家を二世帯住宅にリフォームする人も多い。
生前相続をして大失敗した知り合いもいる。
大好きな船を買い、釣り三昧の生き方もある。
老人ホームの本をこっそり買っている後輩もいる。
でも、この支度の前にすべきことがある。
老後を「どう生きるか」を決めなければ、老いの支度なんて何の意味もない。
そう、どう生きるかを具体的に俯瞰し、
何よりも最初にその答えを決めなければならない。
要するに、死ぬまで働くのか、
それとも、早々と隠居して何も生産的なことをしないのか。
そのどちらかを決めることこそ老い支度で最初にしなくてはならないことなのだ。
本来、生きとし生けるものは全て、五体満足なうちは、死ぬまで真剣に働いている。
農家のお年寄りで、60で畑に出なくなる人なんていない。
農家でなくても、人は働く方が生き生きとしていられる。
年金制度はとても大切な制度だが、
ある意味ではどこか人間の傲慢さの現れのような気もする。
調査によると、7割くらいの人が「元気なうちは働きたい」と言うらしい。
年金制度の先にあるものはきっとこんな調査結果と関連した、
全く新しい制度になるのではないか。
それでも、敢えて遊びほうけて生きたいのなら、それもその人の立派な選択だ。
兎にも角にも、特殊な資格や技能のない40代の人が、
もし、まじめに死ぬまで働くと決めたなら、今から資格の勉強でも始めたらいい。
運悪くその資格が取れなくても、その勉強は決して無駄にはならない。
それこそが老い支度の第一歩なのだから。

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