嫌われ上手

毎週一回はお茶をする友達が3人はいる。
どちらからともなく、
「お茶でもしようか」と声を掛け合う。

もし、そんな友達が10人もいたら
自分の生活はずたずたになり、
やりたいことも出来なくなるだろう。
家族や大切な友人を維持するにも
今くらいの人数が心地よい。

そんな私が長年通い続ける小料理屋がある。
そこに行けば必ず顔見知りの常連に会う。
その店で人気の男たちが次々と病気になったり
離婚したり、その内の何人かは亡くなったりした。
何と彼らは私より若かったのに。

だから、そこで人に慕われたらお仕舞だと思い始めた。
数年間、週に三日も四日も飲んだら、
どんなに丈夫な人だって病気になるし、
温かい家庭も大切な友人関係も壊れる。
なのに、「明日も来いよ」なんて声が飛び交っている。
あー、怖い、怖い。

行くたびに、そこで人気の男たちを観察していると
充実した時間を失い、ただ流されているとしか思えない。
世間の多くの人は「好かれる」ことを望むが
この店での様子を見ていて、
「このような場所で好かれることは破滅につながる」と
つくづくと思うようになった。

だから、そこで常連さんに会っても
出来るだけ話をせず、敢えて付き合いの悪い男を演技する。
時には、「そばに来ないで」と願いつつ
相手を傷つけるようなことをわざと言う。

最近は、好かれることと同じくらいに
嫌われることが大切だと思う。
嫌われるためには勇気と知恵がいる。
少なくとも、好かれるよりは難しい。

写真説明:イタリア料理「オッツィオ」

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