20年後

80年近く生きていると20年後が3度ある。
例えば、20歳の時の20年後の40歳、
40歳の時の20年後の60歳、60歳の
時の20年後の80歳。

20歳の時にその20年後を言い当てる
ことは私には出来なかった。ただ、
母は言い当てていた。不動産がとてつ
もなく値上がりすると。
「だから、不動産の道へ進め」と言い
続けていた。今の成功はこの母の助言に
従ったから手に入れたと言っても過言ではない。

40歳の時に私自身がその20年後を言い当てた。
少子高齢化で日本が沈没していくと予想した。
その通りになって、「あの時、塾を売って
よかったね」と大勢の人に言われる。
不動産は一極集中していくと予想し、
横須賀を離れ、横浜と東京に資金を
集中投資した。案の定、横須賀の土地は
暴落し、横浜と東京は値上がりした。

さて、これからの20年はどうなるか。
ズバリ言えることは、「高齢者の高齢化と
1学年の子供の数の激減」だろう。
我々の時代、1学年の生徒数は260万人
だったが、20年後は40万人を下回る。
何と六分の一以下である。日本沈没に等しい。
恐ろしいことだ。

結果、具体的にはどんなことが起こるか。
一例としては、タワマンのゴーストタウン化
が起こることは間違いない。20年以内に
起こるであろう首都直下型地震があっても
なくてもタワマンはひどく老朽化し、
その修繕費が捻出出来ない組合は
マンション放棄を決めるしかない。

一学年が六分の一以下に激減した若者たち
にこのゴーストタウンを蘇らせる
エネルギーはない。そんなことが次々と
起きて、今の湯沢のマンション群のような
ゴーストタウンが東京中に出現する。
唯一、この予想を外してくれるのは中国人
だろう。もし、タワマンを次々と中国人が
買ってくれれば、ゴーストタウン化は
起こらない。神様、仏様、中国人様! なのだ。

これから20年後、孫たちが就職する。
その時に、彼らが快適に過ごせる日本を
作ってあげなければならない。今は、
そのために全力で街づくりをしている。
日本は無理でも、我が町「北下浦」くらい
は程よい人口密度の暮らしやすい街にして
おいてあげたい。そして、大震災が
起こっても、余り困らないような強靭な
故郷を作っておいてあげたい。

この「きたしたうら」を、理想の桃源郷に
しておいてあげたい。観光協会にはそれを
可能にする潜在力がある。20年後の「きたしたうら」
を見届けるには、100歳まで生きなければならい。

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