ゼネラリスト

49歳で他界した兄と交わした多くの会話は、
まだ鮮明に記憶に残っている。中でも、
生き方については多くの意見を交わした。

兄は東京大学機械工学科を卒業し、
自動車会社に就職した。40代で役員に
なったが癌でこの世を去った。当然だが、
車が大好きで、よく兄の作った車で
ゴルフに行った。その車の中で、
「ゼネラリストになれ」と何度も弟の
私に語っていた。

兄は、大学3年の頃、製図とかメカトロ
演習などを家でもやっていたまじめな
学生だった。そんな兄が、社会人になって
人が変わったように六本木界隈で遊びだした。
その言い訳が、「遊びが分からなくては
いい車が作れない」というものだった。

そんな兄の遊びの指南をしていたのが私
だった。私は兄と正反対で、勉強など
ほとんどしたことがなく、早稲田の
法学部を形だけ卒業したどうしようも
ない弟だった。ただ、遊びに関しては
20歳前後で一流だった。ゴルフはシングル
だったし、赤坂や青山の一流どころは全て
顔パスだった。そして、私の指導で遊びを
マスターした兄は人間が一回り大きく
なったように思えた。曰く、
「俺も遊んだからいい車が作れる」と。
正にゼネラリストになったかのようだった。

ゼネラリストとは幅広い分野での知識や
スキルを身につけたオールマイティな人の
ことで、サラリーマンなら総合職として
入社することが多い。彼らはジョブ
ローテーションでさまざまな部署を経験し、
管理職に駆け上っていき、いずれは社長に
なる候補者たちだ。兄は技術系ゼネラリスト
として典型的な出世コースを歩んだ。

私のように独立して人生を歩んできた人間が
ゼネラリストになるには、自分でいろいろな
ジョブローテーションを組み立てるしか
なかった。自分のジョブローテーションを
敢えて書き出せば、カフェ経営(大学2年時、
成功)→住宅機器開発(サラリーマン時)
→生徒数3千の進学塾経営(28歳時、成功)
→不動産貸付会社経営(43歳頃から、成功)
→大型弁当工場経営(50歳時、失敗)→
パソコン進学教室経営(失敗)→セキュリティ
会社経営(成功)→学校法人経営(33歳から)

ゼネラリストとしては十分過ぎる幅広い経験
を積んできたと思う。この経験をもとに
現在はコンパクトシティづくりに挑戦中。
また、豊富な人生経験を生かして、多くの
教え子の人生相談にものっている。なので、
コンパクトシティづくりが成功したら、
事業の指南をしながら教祖としての道も
歩んでみたい。勿論、そんな教祖に相応しい
寺院も建てるつもりだ(これも夢なので、
不履行に終わっても責めないで欲しい)

カテゴリー: 不動産・ビジネス パーマリンク

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