安楽死という選択

後期高齢者の仲間入りをしてから、
痛みを訴える友人が増えてきた。
妻は車椅子生活だが、痛みはない。
この違いは大きい。

偽善社会ではお目出たい長寿だが、
私には長寿は地獄のように思われる。
病と戦っている妻を励ましながら、
10年間「必ず治るんだから」と
励ましている自分が大偽善者に思えて
悲しい。

手が痛いと毎日のように訴える友人からの
メール。雑巾も絞れなくなったとメールに
書いてくる。腰も痛いらしくマットを持って
電車に乗っている。「必ず治るよ」と
励ましてもう5年になる。

どちらにしても、人生の終末には
辛いことがこれでもかと押し寄せる。
古希前には想像もできなかった世界だ。

長寿を祝うなんて、本当に正しいこと
なのかと懐疑的になっている。
病気の人を励ましながら、最善の接し方とは
何なのかと考え込んでしまうことが多い。

そんなときに、フランスで行われている
安楽死のビデオを見た。不治の病に犯された
日本人が安楽死を認められたフランスの病院で、
安らかに死んでいく様子がとても羨ましく
思える内容だった。終末の人生設計に
安楽死という選択肢があったなら、どれほど
人生が明るくなるかと真剣に考えている。

安楽死も許されず、、年金も不足していると
喧しく、介護施設での介護者による暴力は
とどまるところを知らないこの日本。

そんな暗い話が多い中で、夢のような老後を
送りたいと己の人生設計を友人に語ったら、
「そんな人生を選べる人は万人に一人だよ」と
注意された。つまり、生きるのが精一杯の人
ばかりの世の中でそんな夢を語ったら嫌われる
というのだ。もう、夢もへったくりもない。

参院選、できもしない夢を語る偽善の野党は
絶対に大敗させなければいけない、
もし安楽死を許す社会を作りたいなら。

「あー、癌になったらフランスで安楽死したい」

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