「負け」から学ぶ

「成功法則」について何度も書いてきた。
それを書きながら、自分を奮い立たせてきた。
教え子のため書いているようにみせて、
実は、自分のために書いたのかも知れない。

今日は、何故か負けの想いが脳裏を駆け巡る。
今思えば、「負け」は実に大切な経験だった。
負けは大きく勝つための必然の気がした。
勿論、その時は涙、涙の一瞬ではあったが・・・

テナントが入っている高利回り物件を買って、
4日後に「出ます」と解約宣告されたときは、
「あの野郎、騙したな」と売った男を恨んだ。

しかし、後の数ヶ月のリーシング活動を通して、
それまで知らなかった数多くのことを学んだ。
その時学んだ知識が更なる発展の基になった。
騙した男に本気で復讐しなくてよかった。
二度と会いたくはないが・・・

塾経営時代にも「やられた」経験がある。
数百人の生徒を引き連れて独立した男がいた。
「やりやがったな」と怒り心頭に達した。

しかし、そんな嫌な出来事のお陰で、
「塾を売る」というアイデアが浮かんだ。
我が人生で、これほどの快挙はなかった。
その意味では、今の幸せは彼のお陰だ。

嫌な出来事のときにこそ器を試されるのだと
このときほど強く感じたことはなかった。
嫌な事を成長のための必然と考えられたら、
本当に大きな器になったと自信がつく筈だ。

都知事選で負けたときの都議会自民党は
見事なまでに器の小ささを露呈した。
小池新都知事が就任の挨拶に行ったときに、
幹部が挨拶をボイコットしたのには驚いた。
しかし、その後の選挙の体たらくを見れば、
あれが崩壊の始まりだったことがよく分かる。

負けて命を絶つ人もいる。
それだけの器なのかも知れない。
負けて相手を殺す人もいる。
それだけの器なのかもしれない。

嫌な出来事で初めてその人間の器が分かる。
だから、そのことで潰れてはいけないのだ。
その意味で、人間の器の大小は、
負けたときに現れることを忘れてはいけない。

「負け」に耐え、
「負け」から学び
「あの負けのお陰」と言える
そんな強靭な心を持ち続けたい。

負けて、やられて相手に復讐する器では
所詮勝ってもろくなことにはならない。
「負けたとき」こそが器の見せ所だ。

The defeat sometimes produces benefit
more than victory
The defeat is not meaningless.
The defeat is not nothingness.
We can learn most from defeat.

Thanks to many defeats
I have stronger mental power than before、

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