貧困救済運動家

いつもなら食事をしながらおしゃべりを楽しむ一軒茶屋。
客が多く、マスターが忙しそうで声をかけられない。
仕方なく店置きの雑誌に目を通す。

「貧困自己責任論に物申す」という見出しが興味をそそる。
湯浅誠なる人物が書いている。
また新たなる偽善者かとため息がでる。

しかし、森永と違って本人もかなりの貧困らしい。
嘘がない分、少しほっとして、最後まで読んでしまった。
最終的に公的資金に頼る考え方が気に入らなかったが
その理論には納得できる部分もあった。

彼の理論のミスだけを少しだけ指摘してみる。
貧困家庭の子供は教育課程でチャンスから排除されると彼は言う。
これには一流校コースを歩んだ彼には分からないミスがある。

貧困家庭の子供は確かにその多くが教育課程で十分な成績を残せない。
しかし、これはどんな社会でも解決できない永遠の問題なのだ。
つまり、人は誰一人同じには生まれてはこれないし、その必要もない。
ましてや人間社会ではサラブレッドの交配のようなまねはできない。
これはまるで「背の高い低いの違い」がよくないと言っているような話だ。

A:彼の主張の「排除される弱者に公的補助をする」とどんな弊害を生むか?

①そんな支援があるならと、はじめから努力をしなくなる若者が激増する。
それに対する税負担は更なる不況を生み、それが彼らの働く場を奪い、また賃金を下げる。

②多くの成績不振児を指導してきたが、
彼らは決して不成績を理由にドロップアウトはしていない。
彼らをだめにする最大の原因は、湯浅誠や森永卓郎のような人間が、
「国の政策が悪い、格差社会が悪い」と余りにも言いすぎることだ。
結果、「自分たちは可哀想な存在なんだ、暴れるのは国が悪いんだ」と
勉強を止めてドロップアウトしていく姿を如何に多く見てきたことか。
もちろん、「人間の価値判断は社会への貢献度なのだ」と指導された
私の生徒たちは皆まっすぐに育っていった。

③確かに貧困が自己責任だけだとは思わない。
ただ、大切なことは
「彼らが誇りを持って仕事ができるように教育のシステムを変え
社会の風潮を変えること」が必要なのだ。
「社会はあらゆる種類の人間を必要としている。
だから、誇りを持って自分の生き方に邁進しろ」
そう私は彼らを指導してきた。
彼らは始め皆性格のいい子達だった。
この子たちをだめにしていくのは
「弱者に間違った劣等感をばら撒く偽善者」なのだ。

その意味で湯浅氏と話し合いたいし、出来ればコラボもしたい。

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