関東大地震への二つの恐怖が頭から離れない。
一つは、死なないためにはどうしたらいいか。
もう一つは、経済的損失をどう乗り切るか。
昨日は、銀行と財務改善策を話し合った。
地震で壊滅的被害を受けても乗り切れる
強靭な会社にする方策を探った。
例えば、関東大地震後に必ずやってくる
未経験のハイパーインフレ対策として、
借入れ資金の組み換えなども決めた。
経済復興への参加手段と資金手当てなどは
かなり突っ込んだ話し合いになった。
不運にも死んでしまう場合も想定した。
しかし、経済的な対策が完璧でも、
死んでしまったら元も子もない。
サバイバル対策には二つの側面がある。
一番は食の問題で、次が住の問題だろう。
食問題の柱は、飲料水と火だ。
水は2リットルボトルを30本用意し、
半年ごとに半分を新品と入れ替えていく。
火はカセットボンベを15本買ってある。
食べ物は三立製菓のカンパンを30包、
米と野菜ジュースがそれぞれ1か月分、
魚の缶詰が20缶、レトルト食品もある。
全て半年ごとに半分を使い切り、補充していく。
住については、2箇所作戦だ。
仕事時間の大半が上大岡なので、
拠点であるPSマンションの災害対策が要だ。
自家発電、簡易トイレ、投光器などは用意した。
灯油も2年で変質することを想定し交換する。
※酸化した灯油は一酸化炭素中毒死の原因になる。
しかし、横浜の壊滅的被害も考慮して、
横須賀の自宅にも同様の準備をしている。
生き延びた場合には、一旦横須賀へ戻ろう。
活断層の異なる25キロ離れた両都市が
同時に壊滅することは想定していない。
農業を営む多くの教え子の助けを借りて、
自然の中で、2年間ぐらいを過ごすつもりだ。
その間に、再起の準備をしなければならない。
子供のため、社会のために最後のご奉公だ。
Yesterday I had a meeting
with a branch manager of the bank
which I had an account with.
We talked about economic measures after
huge earthquake which would occur
directly underneath the Kanto district.
教え子たちの住む三浦台地
この自然の大地は地震にもびくともしない。
東京の都市化のいき過ぎが気になる。
日本には都市化分散が急務だ。